次女の小学校卒業式のために、フラワーアレンジメントの先生をしている友人が作ってくれたコサージュです。次女には「きょうだい児」として理不尽な思いをさせてきたと思います。来年の高校卒業式もこのコサージュをつけて出席しようと思います(提供/江利川ちひろ)

「インクルーシブ」「インクルージョン」という言葉を知っていますか? 障害や多様性を排除するのではなく、「共生していく」という意味です。自身も障害のある子どもを持ち、滞在先のハワイでインクルーシブ教育に出合った江利川ちひろさんが、インクルーシブ教育の大切さや日本での課題を伝えます。

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 年度末になりました。この春、ご卒園・ご卒業の皆さま、おめでとうございます。

 我が家の3人の子どもたちは卒業学年ではないのですが、私は高2の次女と高1の息子が通う一貫校でPTA会長をしているため、幼稚園から高校まで、それぞれの卒園・卒業式に出席しました。

 子どもたちがこの学校の幼稚園を卒園してから10年、小学校を卒業してから5年以上たちます。幼稚園のお子さんたちの姿に癒やされながら、次女が年少で入園した14年前から今までのことをたくさん思い出しました。

幼稚園探しに疲れ切って

 次女が入園した年は、翌年に足が不自由な息子の入園を控え、幼稚園探しに疲れ切っていた頃でした。

 双子の長女・次女と、翌年に生まれた長男は、幼い頃は三つ子のようにいつも一緒に育っていましたが、重度心身障害児で寝たきりの長女は児童発達支援センター、次女は幼稚園、息子は在宅と、まったく違う生活となり、余裕の無さから私のメンタルは常に最悪で、障害児を育てることに社会の壁を痛感した年でもありました。

 でも、そんな時に助けてくれたのは次女の学年のママたちでした。はじめは長女や息子のことをどう話せば良いのか迷い、次女をひとりっ子のように育てていましたが、ある日、親しくしていた数人のママたちに我が家の事情を話したところ、とても理解を示してくれ、「(遊ぶ時に)一緒に連れておいでよ」と言ってくれたことがきっかけで、息子もひとつ上のお兄さん・お姉さんと交流が持てるようになりました。どのママも息子を本当にかわいがってくれ、どうしてみんなこんなに優しいのに「対社会」となると居場所がなくなってしまうのかと悩んだものです。その後、結局独歩ができなかった息子は幼稚園には入園できず、ハワイのプリスクールなどを経由して、年中の2学期から次女と同じ幼稚園に入園しました。

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江利川ちひろ

江利川ちひろ

江利川ちひろ(えりかわ・ちひろ)/1975年生まれ。NPO法人かるがもCPキッズ(脳性まひの子どもとパパママの会)代表理事、ソーシャルワーカー。双子の姉妹と年子の弟の母。長女は重症心身障害児、長男は軽度肢体不自由児。2011年、長男を米国ハワイ州のプリスクールへ入園させたことがきっかけでインクルーシブ教育と家族支援の重要性を知り、大学でソーシャルワーク(社会福祉学)を学ぶ。

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「きょうだい児」の次女まで手が回らず