幼いころから大のテレビっ子だったという鮭山さん。テレビに出ている有名人と同じように「人を笑顔にしたい。人を元気にしたい」と自然に思うようになり、芸能界の仕事に憧れた。
20歳のころ、観光で原宿を歩いていたときに芸能事務所にスカウトされた。そのころは女優になりたいと考えていたという。
子どものころから、生き物としての「シャケ」が大好き。魚の名前がついた有名人は希少だったこともあって、芸名を「鮭山」にした。
仕事が少しずつ入るようになり、「鮭」は夢に向かって勢いよく泳ぎ始めたようにも見えた。
だが……。
「オーディションを受けると、変わった芸名の由来や、シャケが大好きなキャラクターに興味を持ってくださるんです。とてもありがたいことなのですが、だんだん女優より、バラエティー番組などタレント寄りのお仕事が増えていきました」
シャケが大好きなアイドル「鮭ドル」として扱われた。シャケの動画を見て涙を流す演出や、シャケのモノマネを求められたりした。
「純粋にシャケが好きだから『鮭山』にしただけで、名前でウケたいと思ったわけではまったくなかったんです。でも現実は、視聴者にウケなきゃいけない役割を求められることが増えていって……。今の私は誰かを笑顔にできているのかな、元気にできているのかなって、疑問を感じるようになりました」
テレビで鮭山さんを見て、笑顔になった人もいたはずだ。ただ、拭うことができない「やらされている感」は、そんな期待を打ち消してしまったのかもしれない。
苦悩していたころ、テレビドラマ「サ道」で熱波師の存在を知った。
サウナに癒やしを求めてやってきた人を、元気にする仕事。学生時代はソフトボール部で活躍し、柔道も黒帯の鮭山さんは、身体を動かすことが大好きだった。そして、自らもサウナが好きだった。
「ドラマを見た瞬間に『天職に出会った』と思いました」と鮭山さん。