正解の解釈に飽き飽き
荒木:死刑制度の問題とかももちろん関係しているんだけど、でも何かの答えを聞くことが映画ではない、という強い思いがある。僕はそこからがんばって逃げているんです。見た人の感想をこちらが明示するようなことは絶対にやらないようにしようって。それはたぶん日本映画界ではあんまり歓迎されない流れなのかもしれなくて。いまは映画公開と同時に「正解の解釈」のようなものが発表されている感じがするんですよね。作り手が発表しているのかわからないけど、 そのことに正直、飽き飽きしているし、ムカついているっていうか。
若葉:そのほうが安全、と作り手も思っているんですよね。
荒木:「ああ、それセリフで説明しちゃうんだ……」とか「頼むから最後の歌で言いたいことを全部言わないで!」とか(笑)。まあ、そういうことをあまりあらわにすると嫌われるので、それを全部、作品に押し込めようとしているんですけど。
若葉:結局それって想像力の問題だと思うんです。例えば子どもが泣いている一枚の絵を見て、どう感じるか。ただ「かわいそう」と思う人もいれば「なんで泣いているんだろう?」って想像を膨らませる人もいる。いまは「ああ、泣いている。かわいそう」って思う人が増えてしまったのかなと。それは僕らの責任でもあって、作り手が観る人を信じなかった結果だと思います。これからは自分たちの手で、ちゃんと「想像」を生産していかないといけない。
荒木:そうそう。「そのほうがおもしろくない?」っていうところにたどり着けるといいなと思っているんです。
(フリーランス記者・中村千晶)
※AERA 2024年3月25日号