世の中には「すごく面白いんだけど、感動するんだけど、どんな作品か説明するのがむずかしい」というものがいっぱいある。人はとかくカテゴライズ、ジャンル分けされた言い方で「一言で」レッテルを貼り言い切るのをよしとしているところがあるので、そういうことで言えばTAICHIの新作『金色の魚』も「芝居だよ。無言劇ね」の素っ気ない一言ですすめるしかない。でもそんな一言では彼らのパフォーマンスを伝えられるわけがない。もっと深くてとらえどころがなくて、いっぱい笑えて、その後じーんと共鳴してしまうこの作品をどうやって初見の方におすすめすればいいのだろう。
話はそれるが、私もいつも「ピアニスト」の頭に「ジャズ」をつけるのかつけないのかでごちゃごちゃ言われる。誰に? おもにTV、新聞、雑誌等のマスコミです。あと取材時に。「谷川俊太郎さんのご長男ですか?」というのも彼らにとって、とても大事な必須事項らしい。あと年齢と出身地。長男か次男か三男か、歳はいくつで、どこで産まれたのか。なぜそういうことが大事なのか、誰か私によくわかるように説明してください! 別に怒ってないけど、ずーっと謎のままで気持ちワルイのである。閑話休題1
そんな訳でもいつも世間に「明確な立ち位置=レッテル」を求められているらしく「身体詩」というジャンルを編み出した(作・演出のモリムラルミコさんの造語です)のだが、こういう新ジャンルが世間一般に定着するには時間がかかる。追従者も必要だ。まあそういうことはともかく、私が声を大にして言いたいのは「一言のレッテル貼りで片付けられない作品はとにかく一度見ていただくしかない」ということです。(そういえば手塚眞さんが「ビジュアリスト」と名乗り始めた時は世間一般??な反応だったけど、いまや彼に関しては定着した感がある。
「手塚治虫を父に持ってしまったがゆえの“処世術”」 左記、私も“偉大な”(^_^;父を持つのでとてもシンパシーを感ずる。ぜひお読みください。閑話休題2
さてTAICHIとは90年代初期からのお付き合いである。93年にはパリやコートジボアールでの公演にくっついて行ったこともある。(裏話だが、作曲料のかわりに渡航費用を彼らが出してくれたのである。しかし楽しかったなあ(^o^) パリでは全員一緒の自炊雑魚寝アパート生活もしたし、一度アンゴラの男優が客演で来た時に、彼に「ぼくは俳優でミュージシャンで詩人でジャーナリストで実業家なんだ。ところで賢作、ぼくと一緒に鶏肉の加工輸入業をやらないか?」と真剣に誘われた時は驚いたなあ。ミュージシャンでござい!なんて胡座をかいているちっぽけな自分とはまったく異なる、このなりふり構わぬ必死さにタジタジとなったことがある)閑話休題3
その後彼らは「身体詩」を、私は音楽を究めることになり(かっこつけすぎ?(^_^; いいじゃんほんとのことなんだし)、以降の彼らの公演には私は生演奏では参加していない(私のCDから曲を使ってくれているのはとてもうれしい)のだが、その間エジプト、ヴェトナム、イスラエル、ボスニア・ヘルツェゴビナ等めったに行かれないであろう国々を含む24カ国で活動してきたという彼らの芸は、よりいっそう磨きがかかった感がある。
そして今回、ひさしぶりの生演奏での共演の話しが舞い込んできた。ふだん録音の音源で「固定の演奏」で演じている彼らに、私の「アドリブで展開していく演奏」はいかなる作用をもたらすのだろうか。しかし最初は互いにおそるおそるだったリハーサルも回を重ねるごとに呼吸があってきた。そしてこの生演奏での共演のもたらす、舞台上のいい緊張感は客席にもきっとしっかりと伝わるだろうと思う。
先日、桐生でのプレ公演も成功裡に終わった。満を持しての今回の東京公演は「座・高円寺2」で3日間、4公演あります。皆様、ぜひ見に来てください! [次回10/26(月)更新予定]
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