『街道』のターニングポイントとなった「南蛮のみち」。スペインのバスク地方を訪ねた司馬さんは念願のザヴィエル城を見た(撮影/写真映像部・小林修)

 作家・司馬遼太郎さんをしのんで開かれる「菜の花忌シンポジウム」。今年は『街道をゆく』をテーマに、25年の連載の中から司馬さんの独自の視点を読み解く。AERA 2024年3月18日号より。

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『竜馬がゆく』『坂の上の雲』などの歴史小説で知られる作家の司馬遼太郎さん(1923~96)をしのぶ「菜の花忌シンポジウム」が、命日の2月12日、都内で開かれた。今回のテーマは「『街道をゆく』──過去から未来へ」。「週刊朝日」で71年に始まった連載「街道をゆく」は司馬さんが亡くなる96年まで25年にわたり続き、国内は北海道から沖縄まで、そしてアイルランド、オランダ、モンゴル、台湾などの海外にも及んだ。

磯田道史:現場で自分だけしか得られない情報を得たときの司馬さんの口癖があります。「愉快である」。司馬さんの文章でこれが出たら、非常に思うところがあったんだな、と感じます。

たとえば、近江商人のもぐさ屋の屋号が全部「亀屋」だ、と書く。歴史学者はきっとそこには注目しないでしょう。そして屋号がみな同じ点から近江の商人を協調的とみます。日本の“交差点”で、無用の争いを避け協調して生きていた、と考察する。新しい日本の「風土記」「人国記」としての『街道をゆく』の真骨頂が出ている場面です。

岸本葉子:司馬さんにとって歴史は書物に書かれたり博物館に展示してある物だけでなく、いま生きている人のなかにも書かれている。山川草木、風、その場で接するすべてから歴史を読み取ろうとしているなと感じます。

磯田:司馬さんは先入観で「こんなもんだ」と決めつけず、現場を五感でとらえながら旅していく。そのうちに、司馬さんのなかに本質をとらえた言葉の塊が生じる。しずくのように読者に落ちてきて感動を与えます。

今村翔吾:僕も取材しますし、資料は読むんですけれども、書く前にいったん忘れるんですよ。それでもなお残るものが、小説の核になっていくと思っています。自分でいうと、たとえば『童の神』という作品を書いたときの景色、色合い、風の匂い、温度、すべて明確に覚えているんです。「残るものは残る」ということですかね。

司会・古屋和雄:25年も続いた『街道をゆく』ですが、実は存続の危機もあったんですね。司馬さんが「そろそろやめようかな」という話を編集者にしたことがあって、編集者があわてて、「(スペインの)バスクに行きませんか」と提案したそうです。それが「南蛮のみち」に結実した。

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