(2)「ハードルを飛べない自分」を許す

 木村恵子著『中森明菜 哀しい性』(1994年 講談社)に、中森明菜と小泉今日子が食事に行ったときのエピソードが書かれています。デザートのイチゴが1つの皿に盛られて出てきたので、かわりばんこに食べていったら、最後に2つ、イチゴが残ったそうです。そこで中森明菜が「2つとも食べなよ」と小泉今日子に言った。小泉今日子はこう応えたそうです。「そういう気の遣いかたをすると、遣われたほうはすごく重く感じる。私なら『2人で1個ずつ食べようか』っていう」。

 中森明菜は、「目の前の他人に愛してもらえない自分」に耐えられないタイプだと考えられます。何としてでも「孤独」から逃れようとする。愛を得るためなら最大限の犠牲を払う。当人は必死でも、これはしばしば逆効果に働きます。

犠牲を払われた側が、「私のためにここまでがんばってくれた」と感動することはまれです。たいていは「こんなことをされて、どうあっても私はこの人を愛さねばならないのか」と重荷に感じてしまう。
 
連載の最初のほうで触れたように、小泉今日子は「人間は一人なんだ」と考えています。「孤独」を「生きるうえで当たり前の状態」だと見なしているのです。このため、そこから逃れようと必死になったりしない。中森明菜のように、身を捨ててまで他人の愛をもとめることはありません。

 「愛されていない自分」を許せない中森明菜とは対照的に、小泉今日子は「孤独な私」を受けいれている。ある条件を満たした「自分」しか認められない中森明菜と、「独りぼっちの私」を「普通」と考える小泉今日子。

 私の高校時代の同級生に、東京大学に二回落ちて自殺してしまった男がいます。彼は「東京大学に入れない自分」に耐えられなかったのでしょう。

 目標を高く持つことは、人間を向上させます。ただし、自分に課したハードルを飛べないことも時にはある。その「失敗した自分」を許せないと、リベンジに成功するどころか、生きのびるうえで大きなネックを抱えることになります。

「何も誇るものを持たない裸の自分」を受けいれられるかどうか。それは、プラスのカードをたくさん集めることよりも、サバイバルのうえではるかに重要なポイントである気がします。

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