
猪股さんは11年3月の東京電力福島第一原発事故がきっかけで、同年5月に札幌市へ自主避難した。当時、妊娠4カ月。無事出産を終えた後も、自主避難した母親たちと一緒にカフェを立ち上げ、食の安全について情報交換を重ねた。拠点を江別市に移し、地元の人たちとの接点が増えると、地域のさまざまな課題に関心が向くようになった。しかし、カフェを閉めて市議選に立候補しようとすると、周囲の一部から反対された。最も強く反対したのは身内の夫だったと猪股さんは振り返る。
「自分の嫁が選挙に出て街頭で声を上げる、ということに大きな抵抗があったようです」
カフェに集う仲間内からも、「カフェの経営とは違うんだよ」と忠告する人がいた。
「どうせ当選できないだろうと考え、善意のつもりで助言してくださったんだと思います。でも私の性格上、やろうと思った時にやらなかったら絶対後悔すると思ったので、挑戦できれば悔いはないと考え、立候補しました」(猪股さん)
選挙を支えたのは猪股さんと同世代の女性たち。選挙運動最終日の夜。「子育て世代こそ政治に参加して意思決定に加わるのが大切」と励まし合った仲間と並んで打ち上げ演説に臨んだ。気づくとみんな泣いていた。込み上げたのは「言いたいことを言えてよかった、というスッキリ感」。猪股さんは「それまではずっと、大きなものに負け続けてきた」と吐露する。
「やむを得ず自主避難したのに国の支援も受けられず、声が届かない経験を重ねてきた私たちにとって、選挙運動は初めてつかんだ大きな声を上げられる場でした。その達成感が大きく、選挙に当選するかどうかまでは考えが及びませんでした」
少子化対策に直結
結果は3番目に多い得票数での当選。その余波は23年の市議選にも及んだ。猪股さんに背中を押された30代の女性が初当選したのだ。女性議員が半数近くを占めると、議会にどのような変化が生じるのか。猪股さんは言う。
「市役所幹部からは、男性議員が大所高所からの発言が多いのに対して女性議員は生活に密着したきめ細かな分野に目が届く質問や提言が多いと言われました」