
高齢者自身が生活の場を選ぶ
宮腰さんは、2月頭に2次避難することを決めた。行き先は、富山県高岡市の高齢者施設だ。
2007年の震災の折に、二人三脚ですし店を手伝ってくれた妻を亡くしている宮腰さん。輪島市は家族の思い出が詰まる故郷であり、決断までには1カ月近くの時間を要したという。
それでも、他県への避難を決めたのはなぜか。
「ここの避難所で相部屋だった人が、家族ぐるみの付き合いのある人なんです。暮らしてみてだんだん気が合う『お隣さん』になった。それでスタッフさんに聞いたら、二人とも県外の同じ施設に入れると。知らない土地に行くのは気が進まんけれど、『お隣さん』と一緒だったらいいかなと思えてきてね」
夜になり、スタッフルームで、オンライン会議が始まった。参加する人の地域は、この避難所がある石川と神奈川と富山の3県にまたがった。
パソコンの画面に向かって相談事を話すのは、宮腰さん。そして隣には、80代の男性の姿がある。宮腰さんが話していた「お隣さん」だ。
画面の向こう側で二人のコーディネーターを務めているのは、普段は神奈川県で看護師・ケアマネージャーを務めている石川和子さん。もう一人のコーディネーターも富山県から遠隔で参加していた。
宮腰「向こう(高岡市)への移動の時、荷物はだいぶ詰められるの? 自宅から掃除機を取ってこようかなと思ってるし」
石川「前に避難した人も、車いすの人でも荷物は収まっていたから、きっと大丈夫ですよ」
避難先での暮らしをどう構築するかを相談する二人にとって、石川さんは顔なじみの間柄だ。彼女は「キャンナス災害支援チーム」の一員として1月から度々輪島に通い、避難者の調整支援業務を続けてきた。
会議の終盤、宮腰さんがおどけて言った。
「これがリモート会議っちゅうもんなんかな。『輪島サミット』やね(笑)」
画面を介して、双方に爆笑が起こる。
目を見張ったのは、被災した高齢者自身が生活の場を選びとっていたことだ。石川さんは後日、こう話した。
「被災した人たちは、個々の事情の中で真剣に悩んでいるんですよね。『輪島を出たくないのは、わがままを言ってるわけじゃないんだ』とおっしゃいますから。顔の見える関係で、オンラインを活用しながらも、相談支援のチームみんなで、『被災した方たちと一緒に』悩む。そうすると高齢の方でも、避難や新しい住まいのことは、みなさん自分で決めていかれますよ」
被災者、支援者双方の模索の中で、奥能登ならではの「新しいワンチーム」の形が生まれつつある。
(ジャーナリスト・古川雅子)
※AERAオンライン限定記事