ナイツ
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 ナイツの塙宣之の初監督映画『漫才協会 THE MOVIE ~舞台の上の懲りない面々~』が3月1日から全国公開される。漫才協会の会長である塙が、漫才協会所属の芸人を中心にして「舞台にこだわる芸人」を追いかけたドキュメンタリー作品である。

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 青空球児・好児、おぼん・こぼん、ロケット団、U字工事、ねづっち、錦鯉など大ベテランから若手まで幅広い層の芸人にスポットが当たっている。ビートきよし、爆笑問題、サンドウィッチマンも友情出演している。漫才協会外部理事の高田文夫も制作に協力しており、2月6日に行われた完成披露上映会にもナイツ、松本明子と共に登壇した。

 ナイツの2人は、浅草の演芸場で腕を磨いてきた浅草芸人である。彼らが漫才師として世に出た頃から、若手芸人らしからぬその経歴に注目が集まっていた。

今でこそ「浅草」イメージだが

 今でこそ「ナイツと言えば浅草、浅草と言えばナイツ」というイメージが定着しているが、本人たちはそんなことになるとは思っていなかったに違いない。なぜなら、彼らはもともとテレビのお笑い番組に憧れて芸人の道に進んでいたからだ。

 塙と土屋伸之は大学の落語研究会でコンビを結成して、マセキ芸能社に入った。当時マセキ芸能社の社長だった柵木眞は、ナイツの漫才はテレビよりも舞台に向いていると考えて、浅草行きを命じた。漫才協会に入れて、浅草で修業をさせることにしたのだ。

 同じくマセキ芸能社に所属する内海桂子に弟子入りするという形で、ナイツは浅草演芸界の門を叩き、浅草の東洋館という演芸場に毎日通い詰めることになった。

 ナイツが入った頃の浅草は時代に取り残された場所になっていた。演芸場の客席は連日ガラガラだった。彼らはそこで師匠の世話をしたり、演芸場の前で呼び込みをしたりしながら、舞台に立って漫才の腕を磨いた.同世代の若手芸人が女性客中心のお笑いライブで黄色い歓声を浴びている中で、ナイツは日の当たらない道を歩んでいた。

 だが、彼らはその環境でも腐ることなく、コツコツと地味な努力を続けていた。その甲斐あって、2008年から2010年まで3年連続で『M-1グランプリ』の決勝に進んだ。

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ラリー遠田

ラリー遠田

ラリー遠田(らりー・とおだ)/作家・お笑い評論家。お笑いやテレビに関する評論、執筆、イベント企画などを手掛ける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』 (イースト新書)など著書多数。近著は『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)。http://owa-writer.com/

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