ところで久米さんは1985年にはじまった「ニュースステーション」で後悔していることの一つに、沖縄の基地問題についてとりあげる際、フリップに描かれた沖縄の地図を上下逆にして紹介したことをあげている。沖縄に何度も行っていたにもかかわらずにやってしまったこのミスについて、久米さんは「今も忘れることのできない痛恨のミス」「今思い出しても身の縮む思いがする」と記している。……というくだりを読んで不思議なのは、百恵さんのお尻を触ったことは「今思い出しても身の縮む思いがする」経験ではないのか、と。ほんと、沖縄には謝るけど、女には謝らないのね……と。
そしてやはり、この国を生きている男の人たちにとって、女の子の古傷なんて知ったことではないという事実を突きつけられる。「あの時代」を「おおらかだった」と懐かしめる感性を抱きしめ続けている同世代の男性や、セクハラをした過去を「セクハラという言葉がまだ広まっていない時代」だったと、おだやかに振り返られる“のびやかな感性”を見せつけられる2024年に改めて。
「セクシャル・ハラスメント」が新語・流行語大賞になったのは1989年のことである。セクハラという言葉はなくても、日常的に、職場でも、学校でも、職員室でも、テレビでも、ラジオでも、性的嫌がらせは日常的にあった。「魚にも美人とブスはいるのか?」とかいう“素朴な疑問”を男と一緒に笑える感性のある女の子じゃなければ、そりゃフツーに苦しいのである。昭和が終わった1989年に「セクハラ」が流行語大賞になったのは、決して偶然ではない。1970年代あたりから激化していく男たちのはしゃいだ感じや性的嫌がらせに対し、女たちがようやく言葉を見つけたのが、あの年だったのだと思う。
……と書くと、1980年代が女にとっては地獄だった……みたいな話になってしまうが、1980年代に10代の女の子だった身としては、「だからこそ、女の子たちは、越境しようとしていた」のだと実感を込めて思う。女の子が女の子の言葉で小説を書く「コバルト文庫」……新井素子や氷室冴子の本にどれだけ当時の女の子たちが夢中になったか。女の子が女の子と激しく闘う女子プロレス……クラッシュギャルズの真剣にどれだけの女の子が涙したか。私たちは抵抗してきたのだ。その抵抗がどのように実を結んだのか、あの抵抗をしていた女の子たちは今どんな50代を生きているのだろう。
“エロにおおらかだった1980年代”が定着していくことに、半分その通りですよ……と思いながら、それがキモくて、それがつらくて、それにむかついて抵抗してきた女の子たちの歴史もある。クドカンさんのドラマが今後どうなっていくのか、観たいような観たくないような……複雑な思いで古傷を触る。女の子の歴史はまだまだ語られていないことを噛みしめながら。