「今では考えられないようなおふざけもした。百恵さんの胸元をわざと覗き込み、お尻をむんずとつかんだ。セクハラという言葉がまだ広まっていない時代。誰も百恵さんのお尻を触ったことがない。ならば僕がそのさきがけとならん」

 本を読む限り、久米宏さんは相当に自己プロデュースをしながら目標に向かってステップアップしていく努力家である。お茶の間で万人受けするアナウンサーではなく、「あ、久米宏だ」と声を聞いてすぐにわかるようなアナウンサーを目指すために、久米さんは「誰もしたことがない」ことで果敢に放送業界に挑んでいく。例えば、1970年にスタートしたラジオ番組「永六輔の土曜ワイドラジオTOKYO」で、日活ロマンポルノの現場に行き中継したりとか。1978年に久米さん自身がメインになったラジオ番組「土曜ワイド」では、“くだらない”“ばかばかしい”素朴な疑問を集めたこととか。それは例えば、「おねえさんからおばさんに変わる基準は?」「処女膜は人間以外のメスにもあるのか?」「魚にも美人とブスはいるのか?」というような“素朴な疑問”だったりとか。または情報番組「久米宏のTVスクランブル」で「日本全国美人妻」という人気コーナーをつくった話だとか……。

 読み進めていくうちに、だんだんと久米宏さんが、「不適切にもほどがある!」の主人公、阿部サダヲに見えてくるのであった。

 久米宏さんがラジオで才能を発揮しはじめた1970年といえば、まだ戦後25年である。そういうなかで、意欲のある放送人(男性)たちが実験的に、いかにくだらないことを、いかに放送にたえられるギリギリのラインで、いかにエンタメにしていくのかに切磋琢磨していた。エロは反権力だった。エロは笑いだった。エロは日本の戦後感を完全に払拭する起爆剤だった。正しいことなんてくだらなかった。間違っているかもしれないが面白いことが、正義だった。権威を軽薄で塗りかえていくことで新しい時代の空気が生まれていく……そんな実感を、当時の大人たちは味わっていたことが久米さんの著書からは伝わる。そしてその空気はまさしく、今の50代が生まれたときから空気として触れてきたものなのである。

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久米さんの「身の縮む思い」とは