このWEB連載で、すでに何度か触れてきたクロスローズ・ギター・フェスティヴァルを、提唱者/主催者のクラプトンは、2004年夏にスタートさせている。第一回目の会場は、テキサス州ダラスのコットン・ボウル・スタジアムと隣接する公園。07年夏の二回目と10年夏の三回目は、シカゴ郊外のサッカー・スタジアム、トヨタ・パーク。そして13年春の第四回目は、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン。つまり3年に1回のペースで行なわれてきたわけで、これは、21世紀を迎えてから彼がもっとも熱心に取り組んできたプロジェクトといえるだろう。
あらためて紹介しておくと、クラプトンは、60年代後半から80年代初頭にかけての壮絶な体験をもとに、97年、カリブ海のアンティグァに更生施設を開設している。そして、その組織をサポートするためのベネフィット・コンサート(ボブ・ディラン、シェリル・クロウらが参加)とギター・オークション(初ソロ作や『レイラ』で弾いたブラウニーを手放した)を99年にニューヨークで行ない、大きな成果をあげたのだった。つまり、そこでの手応えを大規模で本格的なイベントへと発展させたのが、クロスローズ・ギター・フェスティヴァルであったというわけだ。
本来の目的は、いうまでもなくチャリティだが、ギターというシンプルでしかも奥の深い楽器の魅力と可能性をあらためて広く伝えることも、重要なミッションとして彼は考えていた。3日間開催の第一回はやや総花的なラインナップではあったものの、1日だけになった第二回からは、老若、有名無名を問わず、クラプトンがその実力を認める人、共通点を感じられる人だけに絞り、主旨がより明確になっていったように思う。
99年も含めて、5回すべてが映像作品化されているのだが、そのそれぞれからは、大規模イベントの主催者としての責任を全うしながら、大先輩の伝説的ブルースマンや旧友との再会、新しい才能(たとえば、ジョン・メイヤー、デレク・トラックス、ゲイリー・クラーク・ジュニアなど)を世に送り出す仕事を心から楽しんでいるクラプトンの気持ちが伝わってくる。
とはいうものの、やはり、数十組のアーティストを招き、何万人もの観客を集めたイベントを実現させ、成功させるのは、たいへんな仕事。さすがにクラプトンも三回目が最後と考えていたようなのだが、常連のアーティストたちから「ぜひもう一度」と懇願され、第四回目の開催を決めたのだという。マディソン・スクエア・ガーデンを選んだことの背景には、「最後くらいは、天候を心配することなく」という想いがあったのかもしれない(ちなみに、本稿執筆時点では、五回目の計画は発表されていない)。
やはり「これが最後かも」という想いがあってのことなのか、このうち、2013年の第四回目だけがライヴ・アルバムとしても作品化されている。
映像版とは収録曲が若干異なるのだが、基本構成は同じ。クラプトン・バンドを中心に、B.B.キング、バディ・ガイ、オールマン・ブラザーズ・バンド、ジェフ・ベック、アール・クルー、サニー・ランドレス、ドイル・ブラムホールII、ヴィンス・ギル、ロバート・クレイ、ロス・ロボス、ジョン・メイヤー、ゲイリー・クラーク・ジュニア、ブレイク・ミルズ(一般的にはほぼ無名の若者だが、クラプトンは以前から高く評価していた)らの充実したパフォーマンスを、音だけに集中して楽しむことができる。
ハイライトは、ほぼ予告なしで終盤に登場したキース・リチャーズとクラプトンの共演。ここで得た刺激は、間違いなく、キース23年ぶりのソロ・アルバム『クロスアイド・ハート』の仕上がりにも影響を与えているはずだ。[次回9/16(水)更新予定]