鉱山業は何もない地で掘り始め、従業員の社宅をつくり、食品や生活用品を買う生協も学校も病院も必要になる。町づくりそのもので、町全体が家族のように過ごす。閉山となると、その生活基盤がなくなる。会社は代わりに材料事業に着手し、東京都青梅市の工業団地の土地を買い、LF事業に力を入れた。ただ、海外勢の低コスト品に押されて、社長時代に売却した。『源流』で学んだ先見性からすれば、ほかに道はなかった。

工場に4晩泊まり職場長と話し込み知った「com」の姿

 83年、夢だった創業の地・別子事業所へ異動し、経理課査業グループに着任。バンクーバーへ赴任するまで9年近くいた。査業は予算や仕組みを査定し、事業部門へ効率性などを問う仕事で「住友」の伝統的役職。別子は閉山後、モレンシー銅鉱山などから持ってきた銅精鉱で精錬や加工をしていたが、課題はいくつもあった。

 思い出深いのが、事務課長時代のニッケル電解製法の転換。計画づくりを託され、何度も書き直しを求められたが、実現にこぎつけた。一緒に取り組んでくれた電解工程の職場長と、工場に4晩も泊まり込み、話し込んで胸に刻んだことがある。

 その経験を、新入社員らと話す機会に、何度も紹介した。

「よく『コミュニケーションを取ろう』と言うけど、コミュニケーションの『com』は『共に』の意味で、双方向を示す。一方的に話す講演や講義は、いくら一生懸命にやってもコミュニケーションと言えない。大事なのは双方向。正しいかどうかは別にして、説得と納得の関係だ。その関係をつくっていくのは、結局はフェース・トゥ・フェースで話すことが大事だ」

 電解工程の職場長が聞かせてくれた話から、「現場」に蓄積されている知見や思いの重さが伝わってきた。こちらも、率直な感想を返す。創業の地からモレンシー銅鉱山へ、「現場」から学んだことは、数多い。

 2004年から4年間、経営企画部長を務め、その後の4年間は電池などの材料担当の常務執行役員をした。この8年間が、社長として全事業に通じるための時期となる。いま、銅やニッケルなどの「資源」と「製錬」、そして電池などに使われる「材料」が、3大事業領域だ。この姿を、2013年からの社長時代に確立した。『源流』からの流れが、勢いを増したときだ。

 あるとき、経営説明会で証券アナリストに「価格変動が大きくて、ときに収益の足を引っ張る資源はやめて、非資源へ集中したらどうか」と問われたことがある。だが、資源も金属系の「ものづくり」として重きを置き続ける。2018年6月に会長になって、表舞台に立つことは減った。でも、胸には常に『源流』となったモレンシー銅鉱山の美しい光景が、刻み込まれている。(ジャーナリスト・街風隆雄)

AERA 2024年2月19日号

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