父親サッカーで体力向上(写真:本人提供)

 バンクーバーに赴任する1カ月余り前、別子事業所で工場の事務課長のときだ。上司に「海外勤務はどうか?」と聞かれ、「冗談は、やめて下さい。英語もダメで全くいく気もないし、飛行機が大嫌いですから」と答え、「そうだよね」と笑いで終わった。ところが、1カ月近くたつと「1週間後に資源事業本部への発令があり、カナダへいくことになる」と言われ、驚いた。すぐに資源事業本部へいくと、もうビザも航空券も用意してあり、翌日に出発する。

 バンクーバーでの仕事は、モレンシー銅鉱山の原価計算。前任者まで、金属の営業部から派遣されていた。権益を買って以来、銅の国際価格が低くて、ずっと赤字。納税額はゼロで、申告も簡単。紙1枚で済むから、営業マンでもできた。

黒字転換で納税事務「経理屋をくれ」でバンクーバーへ赴任

 ところが、1年前から銅価格が上がり始め、黒字化がみえてきた。米国にも納税額を赤字だった分と相殺できる制度があるが、営業マンに事務は難しい。「経理屋を送ってくれ」と連絡がきて、選ばれたらしい。

 事務所の日本人は所長と自分だけ。着任して日本の免許証を書き換えて、モレンシーへいった。その後も訪れ、いつも最初に感じた先人たちの先見性と国際性を、かみしめる。社長時代の2016年に、13%分の権益を買い増した。

 1953年5月、神奈川県相模湖町(現・相模原市)に生まれる。父は県の地方公務員で、母と妹と4人家族。桐朋中学校・高校から慶応義塾大学法学部法律学科へ進み、3年生から労働法のゼミで学ぶ。「会社に入ったら人事部門へいきたい」と思い、勉強しておくなら労働法だ、と考えた。

 76年4月に入社。東京都武蔵野市の工場にあった電子金属事業部の経理グループで、事業の原価計算を担当した。想定外の部署で、残業続き。まだ手で回す計算機の時代で、使うことができないのでそろばんで計算したが、割り算や掛け算はできない。やがて電卓になったが、なっていなかったら会社を辞めていただろう。2年目は、ニッケルや銅の合金で半導体チップとプリント配線板を結ぶリードフレーム(LF)事業で、メッキ工程の原価計算を受け持つ。不況で金属価格は低迷し、製錬事業は苦難の時期だった。

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