東浩紀/批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役
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 批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。

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 オクシミロンというロシア人ラッパーがいる。1985年生まれで、ロシアでは絶大な人気を誇る。

 2022年2月のウクライナ侵攻後、ロシアでは多くの芸術家やミュージシャンが反戦を表明した。オクシミロンもそのひとりで、いまは国外で活躍している。侵攻直後にトルコでウクライナ人避難民を支援するチャリティーライブを開催。同年秋に「外国エージェント」に認定された。

 そんな彼が世界ツアーの最終会場として東京を選び1月末に来日した。筆者はラップは聞かない。ロシア語もほぼ分からない。それでも好奇心で参加したところ、深い感銘を受けた。

 パフォーマンスが素晴らしかっただけではない。政権への怒りや反戦の熱気がフロアから伝わってきたからだ。

 観客は大部分がロシア人だったが、途中でオクシミロンがウクライナ人に挙手を求める一幕があった。ぱらぽらと手が挙がると拍手が巻き起こった。終了後には近くの居酒屋でロシア語を話す集団と出くわした。話を聞くと会場で合流したらしく、ロシア人とウクライナ人が混在していた。何人かはウクライナ支援のTシャツを身につけていた。文化が政治的分断を乗り越えた光景に胸が熱くなった。

 ロシア文学者の松下隆志氏によれば、ロシアのラップは2010年代に入り政権へのプロテスト(抗議)を核として急速に成長したらしい。筆者が見た交流はそのうえに現れたものだろうが、日本ではそんな反体制文化の存在自体がほぼ知られていない。会場にも日本人は1割ほどしかいなかった。

 ロシア人が全て親プーチンではないし、ロシア語やロシア文化を学ぶことが即ち侵攻支持なわけでもない。それなのにSNSでは、ロシア理解を試みること自体が侵攻の正当化につながるといった乱暴な意見が幅を利かせている。最近もNHKや朝日新聞での佐藤優氏のインタビューをきっかけに反発が強まっている。

 しかしそういった単純な善悪二元論は無知を加速するだけだ。プーチン政権の蛮行を終わらせるためにこそ、もっとロシアの多面性を知る必要があるのではないかと感じている。

AERA 2024年2月19日号