※写真はイメージです。本文とは関係ありません(iStock / Getty Images Plus)

 僕は納得しないまま、黙ってうなづきました。

 25歳だった僕は「そんな慰めの仕方があるものか」と、そのお坊さんに反発していました。

 でも、今なら分かります。輝く未来が待っていると思われた22歳の若者が、自分に何の落ち度もないのに交通事故に巻き込まれ、命を落とすという「理不尽」を説明できる論理などこの世には存在しない。論理がないのだから、「寿命」という理屈を超えた言葉で説明するしかない。

 お坊さんはそう思って「寿命を全うした」と言ったのだろうと分かります。分かりますが、僕は今でも納得はしていません。分かることと納得することは別なのです。

 もっとも、お母さんが本心から「寿命」を納得したのか、すがりたくて信じようとしたのかは分かりません。でも、とりあえず、混乱は収まっているようでした。

 飛行機さん。飛行機さんも、僕と同じ、「宗教の言葉」を頭から信じることはできない人間ではないかと思います。

「死後の世界」とか「魂の不滅」を信じられれば、どれほど良いかと思いながら、それでも、理性や悟性によって「論理の飛躍」に慎重な人間ではないかと思います。

 だからこそ、大切な人の死に激しく苦しむのだと思うのです。

 飛行機さん。死は不合理です。だからこそ、自分でその意味をつけていいんだと僕は思っています。

 飛行機さんはすでに死をちゃんと意味づけされています。「病気からくる痛みや抗がん剤による苦しさから解放されて、もう痛くないんだよ、良かったね」と話しかけたり、「12年間、家族と一緒に過ごせて良かったね」と思ったり、「これから先に待ち受ける人生の苦しみを味わわなくて良かったのかも」と声をかけているのです。

 これが飛行機さんにとっての、息子さんの「死の意味」だと思います。

 それでいいと思います。それは素晴らしいことだと思います。ただ哀しむのではなく、息子さんが12年間生きていた意味を大切にし、息子さんの思い出を慈しみ、心の中で息子さんと話し続ける。

 それが、息子さんの「死の意味」を定義することで、息子さんの死と共に生きていくことだと僕は思います。

 それは飛行機さんにとっても、亡くなった息子さんにとっても、重要な意味のある、前向きで大切なことです。

 飛行機さん。僕はそう思います。

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