その反省から、最近は家庭の中だけでなく、研究会の議論の場などでもなるべく人の話を聞くようになりました。さすがに主宰者の私がずっと黙っているわけにはいかないので、最初のほうに少し話して、あとはまわりが一通り話をし終えてから、感じたこと、思いついたことを話すという感じです。静かに話を聞いていられるのは、研究会に参加しているのがある分野の第一線で活躍している人たちで、それぞれの話が興味深く面白いからです。聞いているだけで楽しいので、大いに満足しています。
世の中には、自分が話題の中心にいないと気がすまないという老人がたくさんいます。自分にはそういう傾向があまりないようですが、これはおそらく過去の経験も関係しています。その場の主役として扱われないと不機嫌になる、老害の典型例な人と出会った経験です。
大学で助教授をしていた三〇代の頃、知り合いに誘われて、ある業界の人たちと一緒にアメリカに見学に出かけたことがありました。ある技術の最先端に触れることができるということで、純粋な知的好奇心から誘いに乗りました。その見学ツアーはたいへん有意義なものでしたが、代表を務めていたのはまさしく自分が話題の中心にいないと気がすまない老人の典型のような人でした。ツアーの途中、私のことを「あいつは敬意を払わないけしからんヤツだ」と不機嫌そうに言っていると伝え聞いて、気軽な気持ちで参加したことをひどく後悔させられました。