九経連会長になって、コロナ禍の外出規制を自主基準でやめた。「もう動こうと」と、地元企業へ発信し、縮こまっていた街へ出かけようと誘った(撮影/山中蔵人)
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 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2024年2月5日号より。

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 西日本鉄道(西鉄)は2000年11月、北九州市小倉北区砂津に、複合商業施設「チャチャタウン小倉」を開業した。路面電車を廃止した後の車庫跡地の再開発。その全体像を描いた。

 JR小倉駅から歩いて約10分、中心街から離れていて、集客力が最大の課題だった。高さ60メートルの観覧車を設置し、夜はイルミネーションを点けて、近くを走る山陽新幹線の車内からもみられるようにした。「いってみたいね」という口コミの広がりが、狙いだ。

小倉に複合商業施設 部下らと各地を視察案づくりに口出さず

 映画館も配給会社と交渉し、入居してもらう。レストランやゲームセンター、専門店街に100円ショップまで揃え、1階の中央に広場もつくって連日、音楽やダンスなどイベントを実施した。駐車場は1円でも買い物をすれば3時間、映画を観れば5時間まで無料にする。

 小倉の再開発が進む前、不動産事業局ビル事業部の開発課長として、ビジネスホテル「西鉄イン」の展開に拍車をかけていた。並行するプロジェクトで超多忙のなか、部下たちと東京や大阪などの大型商業施設を、いくつも視察する。条件が似ている「中心街からちょっと離れた施設」を中心にみた。

 視察から帰ると、部下たちに提案を考えさせる。その際、あれこれ口を出さない。課題は毎週月曜日の朝に係長級を集めた場で、伝えていた。1週間に何をやるかを確認し、進捗が遅れないように、時間管理はきちんと求めた。同時に、情報の共有化も徹底する。そのうえで答えが出てくるのを、促さない。

「すぐそばにいて、待つ」

 故郷の福岡県吉井町(現・うきは市)で、父母が自分にみせた姿と同じだ。両親から継いだこの姿勢が、倉富純男さんにとってビジネスパーソンとしての『源流』となる。

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