スティーヴ・ウィンウッドとのプロジェクトをいったん終えると(東日本大震災から半年後の2011年秋に二人で来日しているが)、クラプトンは、J.J.ケイルとの共演作第二弾を意識して、新作レコーディングに向けた動きをスタートさせた。2009年秋ごろのことだ。
『ザ・ロード・トゥ・エスコンディード』で強い手応えを得た彼は、「時間切れになる前に」という想いもあってのことではないかと思うのだが、あらためてケイルとの作品制作の可能性を打診したのだった。また、クラプトンにしてみると、『ザ・ロード・トゥ・エスコンディード』ではいくつかやり残したことがあった。たとえば、ケイル作品の重要な構成要素でもある、あのチープなリズム・マシーンの感じを再現することなどだ。そういった提案に対して、ケイルが出した条件は、主にクラプトンが曲を書くことだったという。
ともかく、そのようにしてレコーディングは動きはじめたのだが、なかなか思うように曲が生まれず、クラプトンは、少年時代から自分の記憶に深く刻まれてきた彼自身にとっての名曲への再訪に主眼を置くこととなった。「この曲をケイルが歌ったら……」などと考えながら進めていく作業は、それはそれで、楽しいものであったはずだ。
ところが、実際のレコーディングがスタートすると、リズム・マシーンがうまく機能せず、たまたま(!)隣のスタジオにいたベテラン・ドラマー、ジム・ケルトナーを呼び込むこととなる。つづいて、ケイルが体調を崩して離脱。ベーシック・トラック録音後にはクラプトンもある手術で入院し、最終的な仕上げはドイル・ブラムホールIIに委ねることとなる。2010年秋発表の『クラプトン』は、そのようにして仕上げられたアルバムだった(初ソロ作から40年の歳月をへて完成させた2枚目のセルフ・タイトル・アルバムというとらえ方もできるだろう)。
ケイルの作品が2曲。新曲は、ドイルの作品で、シェリル・クロウもヴォーカルで参加した《ダイアモンズ・メイド・フロム・レイン》など3曲。それ以外は、クラプトンの言葉を借りるなら「メンタル・ジュークボックス」からの選曲で、リル・サン・ジャクソンの《トラヴェリン・アローン》、ロバート・ウィルキンスの《ザッツ・ノー・ウェイ・トゥ・ゲット・アロング》、リトル・ウォルターの《キャント・ホールド・アウト・マッチ・ロンガー》、ミルズ・ブラザーズらが歌った《ロッキング・チェアー》、ビリー・ホリデイらが歌った《ハウ・ディーブ・イズ・ジ・オーシャン》、ファッツ・ウォーラーの《マイ・ヴェリー・グッド・フレンド・ザ・ミルクマン》と《ホエン・サムバディ・シンクス・ユアー・ワンダフル》など、いずれも渋い名曲ばかり。そして、最後はあの《枯葉》。アメリカ音楽史家として一目置いているライ・クーダーに相談すると、「そんなアルバムを出したら、あなたのファンを鞭打つようなものだ」と言われ、一時は本気で『WHIPLASH』というタイトルにしようかと考えたそうだ。
たしかに、クーダーの言うとおり。ここでのクラプトンは、「メンタル・ジュークボックス」で鳴りつづけてきた曲を、深い敬意を込めて、自分なりに解釈することだけを考えている。あらためて髪を伸ばし、カメラのレンズをしっかりと見つめている65歳のクラプトンは、「いけませんか」と問いかけているようだ。[次回8/12(水)更新予定]