『自炊者になるための26週』三浦哲哉 朝日出版社
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 あらゆる食があふれている現代。外食、テイクアウト、デリバリーなどを駆使すれば、無理して自分で作る必要はありません。それでも私たちが自炊する理由はどこにあるのでしょうか。その楽しさや大切さを教えてくれるのが、映画研究者でもある三浦哲哉氏が著した『自炊者になるための26週』です。

 同書の「序」には、「本書は自炊の入門書です」「料理したくなる料理とは何かを理解し、楽しく自炊しつづけるようになることが目標です」と書かれています。そして、私たちが料理したくなる最大の動機となるのは「風味の魅力」だと三浦さんは記します。「風味」とは「味と一体になったにおい」のことであり、同書では、風味が持つ不思議な働きにさまざまな角度からアプローチし、その秘密に迫っています。

 そのわかりやすい一例となるのが、1章に登場する「おいしいトーストの焼き方」でしょう。三浦さんがトーストを焼くときのポイントとして考えるのが、「いいにおいのする熱々の湯気を、パンに充満させること」(同書より)。トーストすることによって、いいにおいを蒸気とともに立ち上がらせることがおいしさの最大の鍵となるのだそうです。そのためには、どのぐらいの温度で、どの程度焼けばよいのか、どういったお皿に置けばよいのでしょうか。「自分は何をしたいのか。パンにどう働きかけ、そこから何を引き出したいのか」(同書より)まで考えることで、パンをトーストすることひとつをとってもさまざまな工夫がおこなえることがわかります。

 そして、この章では読者に対して「明確な狙いを持って、パンを焼いて食べる」という課題が出されます。このように、各章のテーマをふまえた課題は毎回提示され、それらをクリアしていくことで26週間後(半年後)には誰もがみずからすすんで自炊する「自炊者」になれるというのも同書で期待される点です。

 三浦さんはけっしてコンビニやファミレスの料理を否定しているわけではありません。それらにも感動できるほどおいしい料理はたくさんあるとしながらも、自炊した料理との圧倒的な違いとして「風味の情報量」を挙げます。新鮮食材を用いた手料理は、「保存のための加工プロセスを経ていないため、揮発性のにおい物質の種類と量を圧倒的に多く保っている」「生き物には魚介であれ、野菜であれ、個体差があります。その個体差が料理の香りに反映されます」(同書より)と記します。つまり自炊した料理には、規格品にはありえない「ひと皿ひと皿の風味の違い」が宿っているというわけです。これは自炊の大きな魅力であり、私たちが日々自炊を続ける理由だとも言えるかもしれません。

 「トーストを焼く」に始まり、米を炊く、みそ汁を作る、だしを取る、調味料を選ぶ、蒸す、焼く、煮る、揚げる、混ぜる、組み合わせる、さらにはキッチンの動線や片付け、食材を買う場所、器のスタイリング、環境問題にいたるまで、自炊における課題は盛りだくさん。同書を読むと、自炊とは一生をかけて追求しても飽き足りないようなおおいなる創造行為だとわかることでしょう。自炊初心者はもちろん、料理はある程度できるけれど楽しむことができない人にもおすすめの同書。風味への解像度を高め、日々の手料理への感謝を再発見できる一冊です。

[文・鷺ノ宮やよい]