惜しまれつつ終了した人気バラエティー番組「伊東家の食卓」が31日に復活する。もちろん伊東四朗も出演する。番組を仕切るその安定ぶりは若手の追随を許さないものがあったが、喜劇役者としての歩みはどんなものだったのか。伊東の人生に迫った(この記事は、週刊朝日2018年11月16日号の抜粋を同年11月13日に配信した内容の再配信です。年齢や肩書は当時)。
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もし、あのとき、別の選択をしていたなら──。ひょんなことから運命は回り出します。人生に「if」はありませんが、誰しも実はやりたかったこと、やり残したこと、できたはずのことがあるのではないでしょうか。昭和から平成と激動の時代を切り開いてきた著名人に、人生の岐路に立ち返ってもらい、「もう一つの自分史」を語ってもらいます。今回は喜劇役者の伊東四朗さんです。
高校卒業して就職試験に全滅しましたからね。もしも、っていえば、あのときどこかに受かっていれば定年まで勤めあげて、いまごろ何してるかな、って感じですけど、幸か不幸か全部落っこちちゃった。筆記試験は通るんです。でも面接で落とされる。コネで口をきいてもらった会社の面接にまで落っこったんだから。「よっぽど面接向きの顔じゃないのかなあ」って、落ち込みましたねえ。
それでも役者になってからは、こんな怖い顔をしてるっていうのも感謝するようになりました。あるとき、山藤章二さんが何かに書いてくださったんです。「喜劇役者というものは総じて普段は怖い顔をしている人が多い。三木のり平、渥美清しかり。なかでもピカイチなのは伊東四朗だ」って。
考えてみれば、どんな役でもできる人に見られるのかなと。伊丹十三監督の「ミンボーの女」のメイク合わせのときに「監督、怖くするために、このへんにシャドー入れたりしますか?」って言ったら「いや、伊東さんはそのままノーメイクでいいです」って(笑)。あれもショックだったなあ。
――いまとなっては、不採用とした会社に感謝するしかない。「てんぷくトリオ」や「電線音頭」に栄養ドリンク「タフマン」のコマーシャル、実写版「笑ゥせぇるすまん」……。さまざまな顔でわれわれを魅了する名役者の道のりは、就職の失敗から始まっていた。
私はこれからどうやって生きていくんだろう。そう思っていたとき、早稲田の学生だった兄貴が「生協でアルバイトでもやれ」と。まあ、いま考えても時給30円は安いんじゃないかと思うんですけどね(笑)。
で、アルバイト生活をしながら歌舞伎をよく観に行ったんです。お金がなかったから、大きな声じゃ言えないけど、インチキな方法も使いました。一番簡単なのは、はとバスの団体客にくっついて入っちゃう。ただ歌舞伎座の前で、必ず記念撮影をしなきゃならないんですよ。だから私が写ってる写真を持ってる方が、世の中にたくさんいらっしゃるんじゃないかなと(笑)。