現在は駒澤大の監督を務める藤田敦史氏
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 駒澤大の史上初の2年連続三冠なるかが注目される第100回箱根駅伝。単年度の三冠も、これまで大東文化大、順天堂大、早稲田大、青山学院大、駒大の5校しか達成していないが、過去には出雲、全日本の二冠を制しながら、最後の箱根で惜しくも快挙を逃したチームも存在した。

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 第75回大会(1999)で史上2校目の三冠に挑んだのが、駒大だ。

 90年代半ば、予選落ち危機だった駒大は、火中の栗を拾う覚悟で就任した大八木弘明コーチ(現総監督)が手腕を発揮し、2年目に復路優勝、3年目に総合2位と大躍進。そして、4年目の第75回大会では、出雲、全日本に続く三大駅伝制覇に王手をかけた。

 藤田敦史、佐藤裕之の両エースら前年のメンバーが多く残り、大物ルーキーの揖斐祐治、神谷伸行も加わった強力チームは、箱根でも優勝候補1番手だった。

 だが、駒大とともに“YKK”を構成するライバル校の神奈川大、山梨学院大が精彩を欠くなか、“ダークホース”順天堂大が前に立ちはだかる。2区・三代直樹の区間新の快走で1分24秒引き離された駒大は、3区でも2分20秒差に広げられた。

 そんな劣勢を、1カ月前に体調を崩し、4区に回った藤田が挽回する。「アイツ(三代)にできて、オレにできないはずはない」とライバル意識を燃やし、1時間0分56秒の区間新で奪首に成功。5区も神谷が区間2位の好走で、順大に1分50秒差で初の往路Vをはたし、三冠に片手をかけた。

 だが、準エース・大西雄三を故障で欠く復路に不安を残していた。順大は9区に“切り札”高橋謙介を配していた。その9区までにどれだけ差を広げられるかがカギだったが、知らず知らずのうちに守勢に回り、逆に58秒差まで詰められた。

 何とか逃げ切りたい9区・北田初男は、顔を歪めながら激走したが、ポーカーフェイスで追い上げてくる高橋に10.3キロ地点で抜かれ、決定的な1分33秒差をつけられてしまう。終わってみれば4分46秒差の2位。逆転負けの悔しさをバネに「2年前に復路優勝して、今年は往路優勝。残るは総合優勝しかない」(大八木コーチ)と雪辱を期した駒大は翌年、因縁の9区で順大を突き放し、初の総合Vを実現した。

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三冠達成どころか、まさかのシード落ちとなったのは?