50代は体力面での衰えは出てくるものの、新たなチャレンジもまだ可能 写真はイメージです(iStock / Getty Images Plus)
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 より自分自身を尊重できるようになる、それが50代。体力面でキツくても、まだ新しい挑戦も可能だ。50歳の節目を前に新たな一歩を踏み出した人たちも少なくない。AERA 2023年12月18日号より。

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 ポスチャーウォーキング指導者の下田弘子さんは今年、50歳の誕生日をベルギーで迎えた。会社員の夫(46)に同行し、愛犬とともに海を渡って半年。フランス語のレッスンに通い、時々オンラインで日本の生徒にウォーキングの指導をする日々だ。

「いろんなことを経て迎えた50歳。たくさんのモノは不要で、思い出を共有できる家族と友だちと、健康が何より大事。身体が動くうちに、将来ボケないくらいの新しい刺激を楽しみたい」

吹っ切れるのが50代

 充実した表情でそう話す下田さんだが、その心境に達するまでには、長い時間がかかったという。

 役員秘書として働いていた31歳の時、4歳下の夫と結婚。「子どもができた時にすごくいいチームになれる気がした」ことが結婚の決め手だったが、33歳で椎間板ヘルニアを患ってから体調が悪化。35歳で子宮筋腫の手術を受けたが、なかなか妊娠せず、心身のバランスを崩した。一時は歩くこともできなくなり、仕事もやめ、夫とは「一緒にいる意味がない」と何度か真剣に話し合った。

 これからどう生きるのか。ぐるぐると考える中で「まずは身体を治したい」と試行錯誤するようになったという。ポスチャーウォーキングに出合ったのは、30代後半。徐々に心身が回復し、40代で指導者の資格も取った。夫は、2人の暮らしを続けるためにも新たな環境が必要だと海外部門への異動を申し出た。

「まだ若いと思っていても、更年期の薬も飲んでいるし、変化を受け入れることは、そう簡単ではない年齢になりました。でも、大切なものがわかっていたので、ベルギー行きを決断することができた」(下田さん)

 引っ越しのために、洋服や古いフィルム写真などを大量に処分できたことも、新たな生活に弾みをつけたという。

 著書に『50歳から花開く人、 50歳で止まる人』がある文筆家の有川真由美さんは、「50歳」を節目とする理由をこう話す。

「組織の中の立ち位置、子どもの親や夫、妻であることよりも、個としての自分を尊重できるようになり、『いいじゃん、生きたいように生きれば』と吹っ切れるのが50代です」

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古田真梨子

古田真梨子

AERA記者。朝日新聞社入社後、福島→横浜→東京社会部→週刊朝日編集部を経て現職。 途中、休職して南インド・ベンガル―ルに渡り、家族とともに3年半を過ごしました。 京都出身。中高保健体育教員免許。2児の子育て中。

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