『ME & MR.JOHNSON』ERIC CLAPTON
『ME & MR.JOHNSON』ERIC CLAPTON

「60年代のはじめにブルースと出会ったころ、あの音楽について理解している人はほとんどいなかった。イギリスではジャズの一部のように思われていたのかもしれない。ロックやポップもすべてブルースのあとから生まれたのだということはよく知られていなかった。僕の場合は、ジミー・リードを聞いてギターの基礎を学び、それから、ロバート・ジョンソンがじつは何十年も前に同じことをやっていたと知った。僕たちが今聴いている音楽の原点として存在した、とても美しい音楽だということを、そうやって知ったわけさ」

 数年前のインタビューで、クラプトンから聞いた言葉だ。ロンドン郊外の静かな田園地帯で生まれた少年は、十代半ばのころ、遠く離れたアメリカ南部で生まれた音楽に深く引き込まれ、あと戻りができなくなった。そして、こうした出会いや発見をきっかけに、クラプトンはかなり厳格な意味でのブルース原理主義者となり、たとえばロバート・ジョンソンのことを知らない人とは会話もしたくないと思ったほどだという。以来さまざまな場で彼は、ジョンソンこそが「もっとも強く刺激され、衝き動かされてきた存在」と語ってきた。

 ブルースブレイカーズ時代に初リード・ヴォーカル曲として録音した《ランブリン・オン・マイ・マインド》、クリーム時代にライヴ・テイクを残し、今もコンサートの定番となっている《クロスローズ》など、クラプトンは初期の段階からそのジョンソンの曲に取り組んできたが、真正面から向きあうことはなかった。94年のフル・ブルース・アルバム『フロム・ザ・クレイドル』でも彼の曲は取り上げられていない。それほど大きな存在だったのだろう。畏れという言葉を使ってもいいのかもしれない。

 ところが2004年の春、まったく突然という感じで、クラプトンからジョンソン作品集が届けられた。タイトルは『ミー&Mr.ジョンソン』。近寄りがたい存在であったはずの《ヘル・ハウンド・オン・マイ・トレイル》や《ミー・アンド・ザ・デヴル・ブルース》、ローリング・ストーンズのヴァージョンがあまりにも有名な《ラヴ・イン・ヴェイン》、03年11月から12月にかけての日本公演でも歌った《ホエン・ユー・ガット・ア・グッド・フレンド》と《カインド・ハーティド・ウーマン・ブルース》(軽い予告でもあったわけだ)など14曲が取り上げられていた。

 セッションに迎えられたのは、スティーヴ・ガッド、ビリー・プレストン、ネイザン・イースト、クリス・ステイントン、アンディ・フェアウェザー・ロウなど。ドイル・ブラムホールⅡはここから正式にクラプトン・プロジェクトの一員となり、さっそく鋭角的なリード・ギターも聞かせている。

 当然のことながら、多くのファンが「ついに」と受け止めたはずだが、じつは、家族をテーマにしたアルバムの制作をスタートさせたものの、うまく進まず、いわば気分転換のために行なったセッションを作品化したのだという。いかにもクラプトンらしいエピソードだ。

 ロバート・ジョンソンとの関係については、わずか9カ月の間隔を置いただけでリリースされた第二集『セッションズ・フォー・ロバート・J』の回でまた詳しく書く。[次回7/1(水)更新予定]

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大友博

大友博

大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。dot.内の「Music Street」で現在「ディラン名盤20選」を連載中

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