しかし、翌年の57歳の誕生日にあたっての会見では、その「難しさ」にも触れた。
秋篠宮さま自身が、実際にある記事をもとに、事実と異なることがどれぐらいあるか確認したところ、「かなりの労力を費やさないといけないことがよく分かりました」。
「基準を作って意見を言うことは、なかなか難しいなと思っておりますし、引き続き検討していく課題と思っております」
と、率直に心情を明かしたのだった。
この会見で、「(宮内庁を通さない)間接的でないほうがストレートに伝わる」「皇室の情報発信を正確に、タイムリーに出していくことが必要」とも述べた秋篠宮さまだったが、インターネット上での宮内庁による情報発信の重要さを、早くから認識していたのが秋篠宮さまだったと、江森さんは言う。
四半世紀以上前、秋篠宮さまは江森さんに、
「宮内庁は国民のニーズに応え、情報発信をすべきです。宮内庁にホームページを作ってもらいたい」
という内容のことを語っていたという。
それからまもなくの1999年、宮内庁はホームページを開設した。
江森さんに吐露した発言の真意
皇室の大きな変化につながる発言となったのが、天皇の「定年制」だ。
2011年、46歳の誕生日会見で秋篠宮さまは、「天皇陛下の公務に定年制を設けるという意見もある」との記者の質問に答える形で、こう述べている。
「私は、今おっしゃった定年制というのは、やはり必要になってくると思います」
直後に「人によって老いていくスピードは変わる」として、一律に年齢で区切れるものではないと補足をしたものの、「終身天皇制」以外の選択肢について投げかけた。
高齢の天皇陛下(現在の上皇さま)には当時、心臓の冠動脈に硬化や狭窄が見つかり、気管支炎の症状で入院もした。天皇陛下を支える皇后さま(現在の上皇后さま)にも、足に痛みや腫れの症状が出ていた。
5年後の16年8月、天皇陛下は高齢のために象徴としての務めを果たせなくなるとして、国民へ向けたビデオメッセージで退位への「お気持ち」を表明。翌17年には今回の一代に限り退位を認める退位特例法が成立し、19年4月30日には憲政史上初となる天皇の退位が行われ、翌5月1日に改元された。