このロードマップ交渉におけるパレスチナ側の代表者を務めたのが、二〇〇三年三月一九日にパレスチナ自治政府の首相に就任したアッバスだった。同年六月四日、サウジアラビアのアカバでアッバスとシャロン、そしてW・ブッシュ大統領の三者会談が行われ、サウジアラビアとエジプト、ヨルダンの指導者もロードマップへの支持を表明した。同年七月一日、エルサレムでアッバスとシャロンが正式にロードマップ和平交渉の開始を宣言し、その模様はアラビア語とヘブライ語のテレビ放送で生中継された。
だが、イスラエルへの譲歩を伴う和平交渉に反対する意見は、パレスチナの内部で依然として根強く、ロードマップ交渉は間もなく暗礁に乗り上げてしまう。国際的な非難にもかかわらず、先に挙げた分離壁の建設をやめないイスラエルに対するパレスチナ人の不信感も、交渉を阻害した原因の一つだった。また、最終的な決定権を握るアラファトも、イスラエルへの大幅な譲歩には乗り気ではなかった。
失望したアッバスは、九月六日に首相を辞任したが、PLOの事務局長という役職は継続し、実質的にアラファトに次ぐナンバーツーの地位を占めていた。そのため、PLOの内部では、アラファトの後継者はアッバスだと早くから認められていたが、PLOの傘下にないハマスにとっては、敵と交渉するアッバスは信用ならない相手だった。