テロリストという言葉ほど、その内容を詮索しないで我々を金縛りにし一切の思考停止をさせるものはないと思います。一度認定されれば、テロリストには裁判なぞ一切必要なく詮索をする必要もないというわけです。テロリストとして命名された瞬間に、今回のような自衛権をはるかに超えた無差別の報復が行われても仕方がないと我々は金縛りにあっているわけです。

 果たして、全てをテロリストという形で真っ黒に塗り固められるのでしょうか。確かに、アルカイダやIS(イスラム国)のようにテロを厭(いと)わない「真正」テロリストがいます。しかし、国家が、ある集団やある個人にテロリストのラベルを貼った途端に、即座に殺していいということになるのでしょうか。

 ガザで生き延びた若者たちに植えつけられるのは、憎しみでしょう。将来、彼らは第2、第3のハマスになっていくのではないでしょうか。我々はテロリストという言葉をまず吟味する必要があります。そして、テロリストという言葉に注意を払い、思考を停止せずに、その自己増殖的に広がるイメージの氾濫に注意を払わなければなりません。

AERA 2023年11月20日号

[AERA最新号はこちら]