哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。
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ある媒体から「フランス語学習について」のインタビューを受けた。「私はいかにしてフランス語に熟達したか」ではなく、「私はどうしてフランス語会話ができないまま人生を終えようとしているのか」である。
私がフランス語を学ぼうと思い立ったのは高校生の時、怒濤のようにフランスから人文系最新学知が流れ込んできた1960年代のことである。レヴィ=ストロース、バルト、フーコー、ラカン、デリダと名前だけは次々紹介されるのだが、主著がなかなか翻訳されない。日本人研究者の書く解説を読んでも「鰻丼とはこういう味である」と説明してもらうようなもので、それだけでは「鰻丼の味」は分からない。どんな味か知りたければ原著で読むしかない。
そこで仏文科に行ったのだが、それはフランス語で哲学書を読む仕方を学ぶためであって、フランス語を流暢(りゅうちょう)に話したいからではなかった。