芝からダートに目を向けると、やはり印象深いのは20001年の武蔵野ステークス(ダート1600m)でクロフネが残した1分33秒3だろう。本来は天皇賞(秋)を目指していたクロフネだが当時は2頭までしか外国産馬の出走枠がなく、メイショウドトウとアグネスデジタルに次ぐ3番手で除外の憂き目に。やむなく陣営は天皇賞前日の武蔵野ステークスにクロフネを向かわせた。
クロフネにとってはデビュー9戦目にして初のダート戦。フレンチデピュティ産駒という血統からこなせそうな素地はあったが、結果はそんなレベルの話に収まらなかった。サウスヴィグラスが逃げたレースで3番手を進んだクロフネは武豊騎手が微動だにせぬまま第4コーナーでサウスヴィグラスに並びかけ、直線で鞍上が追い出すと独走態勢に。勝ちタイム1分33秒3、上り3ハロン35秒6は芝のマイルレースと見紛うばかりの衝撃タイムとなった。
クロフネは次戦にもダートのジャパンカップダート(2100m)を選び、前年の覇者ウイングアローを7馬身もちぎり捨てる圧勝。この時の勝ちタイム2分5秒9もレコードタイムだった。天皇賞での悔しい除外がなければこの卓越したダート適性は見過ごされたままだったかもしれないかと思うと、災い転じてなんとやらというやつか。
最後にもうひとつ、個人的に衝撃を受けたレコードタイムを紹介させてほしい。勝ち馬はアーモンドアイやクロフネのような最強クラスとして名前を残すまでには至らなかったが、歴史の扉を開いたという意味では大きな役目を果たしたと言っても過言ではないと思う。
1996年に新設されたNHKマイルカップは、あくまで「3歳馬の短距離G1」としてダービーなどのクラシックに向かない距離適性の馬たちのために創設されたが、蓋を開けてみれば当時はクラシック出走資格がなかった外国産馬たちが出走馬18頭のうち14頭を占めた。前走の毎日杯1着を含めて2000m路線を走っていたタイキフォーチュンもそのうちの1頭だった。