『蟷螂の斧(とうろうのおの)』とは「カマキリのカマ」、それを振り上げる行為。「力のない者が、自分の非力を省みず強い相手に立ち向かうこと」という意味の故事成語です。


「己を知らぬ愚かさ」という解釈もありながら、このような迷いのなさは、昔の中国でも一目おかれていたようです。
春秋時代の中国。斉の国王が乗った車の前に、一匹の虫が立ちはだかり、前足を上げて今にも車輪に討ちかかろうとしています。
「これはなんという虫だ」という王の問いに、御者が「これはカマキリといって、進むことは知っていても退くことを知らない虫です。自分の力量もわからず、敵に向かっていくのです」と答えました。すると国王は、「この虫がもし人間であったなら、必ず天下に名をとどろかす勇武の人になるであろう」と言って、車を迂回させカマキリをよけて通ったのです。
武術に生きる人たちは、これを聞いて「力が及ばなくても死力を尽くさなければならないことがあるのだ」と知ったのでした。(『韓詩外伝』より)
大柄のトノサマバッタも、威嚇されたショックで蛇に睨まれた蛙や小鳥のように動けなくなってしまうといいます。カマキリとしては「いきなりカマを出すには、ちょっと危険かな」という相手に対してのみ威嚇をかまし、ひるんだすきにかじるという作戦のようです。けれど、相手が小鳥・ネコ・人間・車などでも「もしかして、大きく見せたらかじれるかも!」と思っているのでしょうか。
カマキリは、花の蜜など存在しない昔から地球上にいたといいます。つねに戦って生き残り、進化しながら自然界のバランスをとってきた資質なのでしょう。「ハングリー精神」とはカマキリのための言葉かもしれませんね。

卵には栄養が必要だから、ママはついでにパパも・・・

カマキリは凶器丸出しです。大きなカマにはトゲトゲが並んでいて、折り畳むとワニの歯のように合わさり、一度つかまったら逃げられません。夜ともなれば、目の色素が表面に集まって黒いサングラスをかけたようになり、悪役キャラ全開! それでもカマキリが人気なのは、しぐさがなんとなく人っぽいからかもしれません。
同じ仲間でもバッタなどの虫は体が曲がらないのですが、カマキリは柔らかい関節が多く、 人間のように頭だけグルッと回して後ろを見たり下を向いたり、腰を曲げたり首をひねったり振り返ったりします。体を大きく動かさないので、存在を気づかれにくいのですね。
腕とカマの間の小さな関節で、前後左右にカマを動かし回転させ、葉につかまって歩きます。威嚇する姿が燕尾服を着た指揮者のように見えるのも、無音で優雅な身のこなしのせいでしょうか。
体の重いメスの羽は主に威嚇用なのですが、小柄なオスは「威嚇してまで大きな獲物を食べなくても」という方針のようです。そのかわり、交尾のためにメスが出す匂い物質を『妖怪アンテナ』のように触覚でキャッチし、野原を身軽に飛んで探しまわります。
メスを発見したら、背後からそーっと近づきます。もし見つかるとエサだと思って食べられてしまうからです。隙を見てサッと背中に飛び乗り、交尾を始めましたが、なんとメスが振り向いてオスの頭をかじっています。しかも、その首の無い状態で交尾は続行しているではありませんか!
交尾行動は胸や腹の神経節で支えられているので、じつは頭が無くても半日くらいは続行可能なのだそうです。むしろ脳の「セーブしろ」という信号がないぶん活発にできるのだとか(それをねらってメスがわざと頭だけ食べているとしたら、すさまじすぎますが・・・)。また交尾中は無事でも、終わったとたん食べられたりするので、オスは気が抜けません。
それなのに、かじられたオスはなぜかされるがまま。自ら卵の栄養になろうという究極の父性愛なのでしょうか。単に「ぶれない」メスが強力すぎて抵抗できないのでしょうか。
ちなみに、交尾の後ピュ〜と逃げて、たすかるオスも多いそうです。

幽体離脱のようですが、交尾してます
幽体離脱のようですが、交尾してます

いよいよ「食べまくる季節」の幕開けです!

秋が深まる頃、カマキリのママは卵で重いお腹(←パパも入っているかも)を抱え、ひとりで産む場所を探します。もしそんな姿を見かけたら、ここまでがんばったことを労い見守ってあげたいですね。ススキの茎などに2時間ほどかけて、おしりの先で粘液をかき混ぜた白い泡の中に200個もの卵をきれいに産み並べます。泡は茶色く固まり、卵は温湿度の変化や衝撃から守られて寒い冬を越すのです。
生涯をかけ苦労して産んだのに、卵嚢ができあがったらもう振り向きもしないのだそうです。できることは全部やった。たくさんの命を卵にこめて、親カマキリはその生涯を閉じます。
今年も狩りの季節がやってきます。自然が用意してくれたさまざまな味覚を、若いカマキリたちは堪能することでしょう。生きる目的が複雑になりすぎた人間の目には、夏空の下で迷いなく全力を注ぐ彼らの生き方が眩しすぎるのです。
<参考>『ファーブル写真昆虫記 11』J.H.ファーブル(岩崎書店)