10月10日にイスラエル南部のアシュケロンで行われた葬儀で追悼する人々。7日のハマスの武装集団による野外音楽フェスティバルへの襲撃では少なくとも260人が死亡した(写真・ロイター/アフロ)

 イスラエルで10月7日、パレスチナ自治区・ガザ地区を実効支配するイスラム組織ハマスからの大規模攻撃があり、紛争状況が続いている。これまでに双方の死者は2400人超に上り(12日時点)、紛争が長引く懸念も広がる。イスラエル・エルサレム在住で、AERA dot.コラム「金閣寺を60回訪れたイスラエル人教授の“ニッポン学”」を連載中のニシム・オトマズキン教授(国立ヘブライ大学人文学部長)の、10日配信分に続く、2回目の緊急寄稿を配信する。

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 “We have no place else to go” (他に行くところがない)――。

 イスラエル側では約1200人がパレスチナのテロ組織であるハマスによる攻撃の犠牲になった10月7日からの悲劇的な出来事を受けて、バイデン米大統領の演説は、最近の記憶の中で、最も親イスラエルの演説の一つでした。バイデン米大統領は10日の演説で、イスラエルに対する米国の揺るぎない支持を再確認し、その安全を確保するという国のコミットメントを改めて表明しました。

 バイデン米大統領はスピーチの中で、半世紀前、若い上院議員として初めてイスラエルを訪問したことを振り返り、メイア首相(当時)との会談を語りました。1973年10月の第4次中東戦争中、イスラエルがシリアとエジプトの共同侵略から国境を守るという課題に直面した重要な時期でした。

 メイア首相が、イスラエルの最も強力な武器は「他に行くところがない」という“認識”であるとバイデン氏に伝えたのは有名な話です。そこから 50年早送りし、今、イスラエルは歴史上最もトラウマ的な出来事、ガザから侵入したハマスのテロリストの手による男性、女性、子どもを含む1200人の虐殺からまだ癒やされていません。

ホロコーストとの類似点

 この残虐行為を生き延びた人々とイスラエルのメディアの一部は、今回の恐怖と、ユダヤ人がナチスの迫害と死に直面したホロコーストの忘れられない記憶との間に類似点を感じています。10月7日土曜日の早朝、パレスチナ自治区ガザを統治するイスラム過激派組織ハマスは、イスラエル南部との国境沿いに位置するいくつかの集落とキブツ(共同農場)に対して予期せぬ恐ろしい攻撃を実行しました。

 これは通常のテロ行為ではありませんでした。ユダヤ人コミュニティー内で広範囲にわたって荒廃を引き起こすという意図を持ち、細心の注意を払った作戦でした。この攻撃の規模は、2014年から19年まで、過激派組織「イスラム国」(IS)が統治中に、非スンニ派イスラム教徒と非イスラム教徒を根絶しようとした際の凶悪な行動を彷彿(ほうふつ)とさせます。

 今回の作戦は、多数のハマス過激派がガザとイスラエルを隔てるセキュリティーフェンス(分離壁)を突破することで始まりました。彼らはバイクと白い四輪駆動車を使ってイスラエルの領土にすばやく侵入し、国境近くの村やキブツにパニックと暴力を広めました。彼らは男性、女性、子ども、さらには家族のペットを容赦なく攻撃し、破壊したのです。彼らは容赦しませんでした。

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Nissim Otmazgin

Nissim Otmazgin

〇Nissim Otmazgin(ニシム・オトマズキン)/国立ヘブライ大学教授。トルーマン研究所所長を経て、同大学人文学部長。1996年、東洋言語学院(東京都)にて言語文化学を学ぶ。2000年ヘブライ大学にて政治学および東アジア地域学を修了。2007年、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科修了、博士号を取得。同年10月、アジア地域の社会文化に関する優秀な論文に贈られる第6回井植記念「アジア太平洋研究賞」を受賞。2012年、エルサレム・ヘブライ大学学長賞を受賞。研究分野は「日本政治と外交関係」「アジアにおける日本の文化外交」など。京都をこよなく愛している。

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