スペシャル参戦した「インターナショナル鈴鹿1000㎞レース」(1993年)の緊張感高まるスターティンググリッドで、ドライバーと共にチーム一丸となって戦うピットクルーと竹岡圭。スカイラインが上位を占める中、3位でフィニッシュした(写真提供/竹岡 圭)
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 隔週刊「トミカ歴代名車COLLECTION」は、タカラトミーが厳選した歴代名車を、その詳細を解説したマガジンとともにお届けするシリーズ。スポーツカーからはたらく車まで、毎号付いてくるトミカはオリジナルデザインで、これを集めると、唯一無二のトミカ・コレクションが完成する。

【動画】11号に収録の「マツダRX-7」はこちら

 2週間に一度の発売日には、マガジン巻末に収録されるリレーコラム「My car, My mini car」をAERAdot.にも配信。「マツダRX-7」を取り上げた10月17日発売の11号のコラムは、モータージャーナリスト・竹岡圭氏による「思い出の詰まったRX-7」だ。

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 サバンナRX-3から始まり、SA型、FC型のRX-7へと受け継がれた「サバンナ」の名前。FD型は「アンフィニRX-7」として登場しました。後に販売チャンネルの統合により「マツダRX-7」へと名称変更されますが、未だにファンが多い名車ですよね。

 発売1年後のこと。免許取り立てだった私は、とにかくカッコイイ!とウキウキしながらコクピットに身を委ねたところ、低いスポーツカーポジションに小さなフロントウインドウと、首から上はテレビゲームをしているようなのに、一変して首から下では、ワダチで太いタイヤにハンドルをとられ、抑え込むのに必死なスパルタンな状況だったりして、まだまだ自分にはこのクルマは早すぎると思ったのを、よく覚えています。

 実は、かつてこのクルマをレーシングマシンとして戦っていた、レーシングチームのマネージャーをしていたことがあるんです。「のりピーハウスレーシングチーム」という、当時はアイドル、現在は女優の酒井法子さんを総監督に据えたレーシングチームで、パルサー→シビックときて、次に投入されたのがFD型のRX-7。「のりピーハウスRX-7」というマシンでした。

 N1耐久(現在のスーパー耐久)に参戦していたのですが、当時は最も速いクラスでは、スカイラインGT-Rが常勝中。そんな中、ストレートスピードではGT-Rに敵わないものの、コーナリングでは圧倒的にRX-7が速かったんですよね。

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マカオグランプリ遠征