博多華丸(左)と博多大吉(撮影/門間新弥)
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 朝の顔として、親しみやすいキャラクターがすっかり定着した博多華丸・大吉。「なぜか評価してもらえる」がゆえに「欲は全くない」という。モノマネでのブレイクから「あさイチ」まで、コンビ結成からの33年を語りつくした。AERA2023年10月16日号より。

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――学生時代の出会いをきっかけにコンビを組み、福岡吉本の立ち上げで1期生となった博多華丸・大吉は、福岡で活動の場を広げていた。「爆笑オンエアバトル」(NHK総合)への出演や、「M-1グランプリ」への出場なども経験するが、本格的な東京進出は2005年。デビューから15年目のことだった。

 大きな転機は同年放送の「とんねるずのみなさんのおかげでした」(フジテレビ)の人気コーナー「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」に華丸が出場し、児玉清のモノマネで優勝、しかも2回連続という快挙を達成したことだった。

 翌年の「R-1ぐらんぷり」でもやはり児玉清のモノマネを組み込んだネタで優勝を飾り、まずは華丸がお茶の間に知られた存在となる。

大吉:R-1で優勝したのは華丸さんだったわけですが、一通りいろんな番組に呼ばれて、「アタックチャーンス」と言って、一周したらまた元に戻ると思ったりもしていました。

華丸:チャンピオンになったから胸を張って福岡に帰れるかな、ぐらいの感覚もありました。

大吉:華丸さんが出るいろんな番組に僕も実は付いていって見学させていただいて。いろんな番組の台本をもらえたので、一通り揃ったらいいなぐらいの気持ちでした(笑)。

――その後大吉も「アメトーーク!」の「中学の時イケてないグループに属していた芸人」に出演した際のネガティブなトークやラジオ番組「たまむすび」など、しゃべりの評価が高まり、いつしか二人は全国区の人気者となった。人気獲得の理由について、こう語る。

華丸:お笑いとはこういうもんだというのもなく、いい意味でポリシーとかなかったんですよ(笑)。

大吉:打席が空くような場面がきて、誰かってなったときにもパッと行かず見てるような感じで。それが逆に当時のスタッフさんの目には、なんか落ち着いてていいって(笑)。何もしていないのに、なぜか評価してもらえるような状況が今に至るまで続いているようなところもあります。

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