色気を忘れないように
さらに村上さんは、「吉備津の釜」の朗読時にバックステージに投影された白石さんの直筆メモに触れ、「色気」と書いた意味を訊いた。「気がつくと男の太い声になっちゃうの。だから色気を忘れないようにメモしてあるんです」と白石さん。「悲しい」というメモは、「ほら、恋は悲しいものでしょう」と。
今回、「吉備津の釜」原文朗読を補う意味で、円地文子の現代語訳が資料として渡されていた。それを読んでも、「吉備津の釜」のお話は、かなり怖い。
「昔から女の嫉妬の毒にあたって身を失った男は、幾千人か数えきれない。……」
「『ああにくい、ここにも貼ってある!』と死霊の女が言う。(略)あの死霊も夜ごとに家をめぐり歩き、あるいは屋の棟の上から叫んで、怒り恨む声はひと夜ごとに凄じさの増さるばかりであった」(『現代語訳 雨月物語 春雨物語』上田秋成著、円地文子訳 河出文庫刊)
夏の夜の夢のように一時間半のステージが終わった。
思い思いに感想を語りながら観客が講堂をあとにしてゆく。闇に包まれた大隈講堂の回廊では大礼服を着た大隈重信の銅像がひとり佇んでいる。
「今日はお世話になりました」と一礼すると、「どうだ、怖かっただろう」と大隈公が僕を見下ろしニヤリと笑った気がした。(TOKYO FM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー、作家・延江浩)
※AERA 2023年10月16日号