職員はどういう教育を受けているのだろうか。そこにいる人を「人間として見ない」ことを、求められているのではないか。こんなところに来る奴らなんて、そもそもクズだ。人権などないようなものだ。どう扱ってもいいのだ。監視し、管理する対象=モノとして見るのだ。そんな教育を徹底的に受けているとしか思えないほど、非人間的な振る舞いがふつうに行われている。そういえば、私のいた湾岸警察署の食事は信じられないほど粗末だった。どれほど日本が貧しくなったとはいえ、9年前に見た弁当以上に粗末な弁当を、私は見たことがない。朝食のメインが安い油で揚げたちくわだった。せめて水分でおなかを膨らまそうとお茶をおかわりしたら怒られた(というより笑われた)。

 もう、今の日本になんて、できるだけ来ないほうがいいよ、という思いになる。

 働く場としても、生きていく場としても、ここは、決して良い国ではない。

 私は今、東京と八ケ岳の2拠点で暮らしている。八ケ岳にはレタス農家が多く、車で走っていると、ベトナム人によく出会う。週末にもなると、国道沿いを集団で自転車で走っているベトナム人の集団に遭遇する。彼らは車を持っておらず、ここら辺は電車も不便で、出かけるといっても近所のスーパーに自転車で向かうくらいなのかもしれない。週末、近所の野菜や雑貨の直売所にベトナム人男性が10人くらいいて、それぞれがよっちゃんイカなどの駄菓子を買っていた。酒のあてにするのだろうか。休日の気楽さか、若者たちは互いの肩にもたれたりなどじゃれ合い楽しげだ。レタス畑の農道を勢いよく自転車で帰っていく姿は、まだとても若い。

 安い賃金で働いてくれる外国人労働者がいないと今、日本のレタス産業は成り立たない。日本人の若者が働きに来ても、あまりに過酷な労働ですぐに辞めてしまうのだと、地元の人が話していた。それでもこんなに若いベトナム人たちが日本のレタス農家で働くことで、彼らにどんな未来があるのだろうか。彼らはほとんど日本人と関わらないから日本語を覚えない。辺鄙(へんぴ)な場所で集団生活を強いられるが遠出する足もなく、近所のスーパーで仲間たちと酒のあてを買うのが彼らの休日の過ごし方のようだ。「技能実習生」とはいうが、労働者として、人として、彼らにどれほどの敬意が払われていると言えるのだろう。

 一方、日本からは今、東南アジアに向かって働きに出る女性たちが増えているという。

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貧しい人に冷たい政治と社会