先日、商談の場で「今、ベトナムが熱いよ」という話を聞いた。ビジネスの場で「熱いよ」とは「儲かるよ」ということである。ベトナムの富裕層向けに、日本の医療法人が現地で開業したりして、富裕層向けのサービスが急激に広がっているという。日本人女性看護士は好待遇で迎えられ、日本で働くより高給だそうだ。またベトナムやカンボジアの富裕層向けのキャバクラも次々にオープンしており、そこでは日本人女性が求められているという。日本のキャバクラよりも富裕層が遊ぶので現金になるらしい。
今そんなふうに、若く貧しい女たちがベトナムに出稼ぎに出かけ、若く貧しいベトナム人が日本で日本人が就かない第1次産業を支えている。そんな奇妙なループが生まれている。豊かな人は貧しい者たちをのみ込みどんどん豊かになっていくが、その豊かさは社会に還元されず、厳しい人生を歩む人により厳しい社会になっているのかもしれない。政治も貧しい者には冷たい。
「ウィシュマさんの死がこのような形で終わる国に住んでいるのが苦しい」
SNSでそんなことを書いている人がいた。その苦しさを私も知っていると思った。その苦しさが、もうこの社会の空気そのものになっているのだとも思った。
外国から来た30代の女性が国家権力によって拘束されている状況で亡くなった。自分の意思で出ていくこともできず、自分の意思が何一つ通用しない場で、亡くなった。原因は分からない。だから誰も責任を取らない。そうやって事件は終わってしまった。そんな国のあり方が、この国自らの首を絞めている。そしてその苦しさは、この国を生きる私たちの日常になってしまっているのかもしれない。
ウィシュマさんの死に、私たちはこれからどう向き合っていけるのか。