pecoさん(撮影/写真映像部・東川哲也)

 あとからわかったことですが、ryuchellが最後に連絡をしてくれていたのが私でした。最後に私たち、息子のことを心配し、連絡をくれたんです。この事実に私は救われました。この事実があるから、私は最後にryuchellに対して「ありがとう」と言えたと思います。いまこうやってお話することもできたと思います。

 ryuchellがグアムに来たのは「これを最後にしよう」と思ってきたわけではないと私は自信をもって思えます。「心理学をやりたい」と言っていたのも本音だったし、空港で「バイバーイ」とお別れしたのも、普通でした。私にかかってきた最後の電話も、いつものryuchellでした。

 気づくことができませんでしたが、最後のLINEはryuchell的には最後だと思って、連絡して来たのだと思います。

 遺書はありませんでした。その瞬間、ryuchellがどういう心境だったのか、何を考えていたのか、なぜその選択をしたのか、私たちにはわかりません。

――昨年8月に婚姻解消をした際、インタビューで「ryuchellが壊れかけていた」という話もありました。その後はどういう様子だったのでしょうか。ryuchellさんに対して批判の声がありましたが、思い悩んでいるようなことはあったのでしょうか。

 どちらかというと、私は強い人間ですが、ryuchellは傷つきやすいというか、繊細な人間だったと思います。

 ryuchellは自分のセクシャリティの問題を発表して、すっきりしたところもあったと思います。ありがたい応援のお声もたくさん届いていました。

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思い悩んでいるryuchellの姿もありました