AERAで連載中の「この人この本」では、いま読んでおくべき一冊を取り上げ、そこに込めた思いや舞台裏を著者にインタビュー。
権力に抗うアウトローや迫害されたマイノリティが逃げ込む謎の巨大湿地帯〈アフワール〉。それは想像をはるかに超えた“混沌と迷走”の旅だった。中東情勢の裏側だけでなく第一級の民族誌的記録まで凝縮された、これまでに類をみないノンフィクション大作。豊富な口絵、イラストなども充実しており資料的価値も高い一冊となった『イラク水滸伝』。著者の高野秀行さんに同書にかける思いを聞いた。
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「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も書かない本を書く」がノンフィクション作家、高野秀行さん(56)のポリシーだ。『幻獣ムベンベを追え』『怪魚ウモッカ格闘記』『謎の独立国家ソマリランド』『辺境メシ』など、こうして過去作を並べただけでも一目瞭然、数多の難敵に挑んできた……はずだった。そんな高野さんをして、「とんでもない怪物を相手にしてしまった」と言わしめたのが本作の舞台となったイラクの巨大湿地帯(アフワール)だ。
ここは、馬もラクダも戦車も使えず、入り組んだ迷路のような水路があり、権力に抗うアウトローや迫害されたマイノリティが逃げ込んだとされる「現代最後のカオス」と呼ばれる場所。巨大湿地帯というユニークな自然だけにとどまらず、シュメール文明の遺跡もある。高野さんは直感する。〈これほど魅力的でありつつこれほど行きにくい世界遺産は他にないだろう。「ここだ!」〉と。ところが……。
「僕が行くのは『辺境』と呼ばれるところなので、文明から遠いんです。だからこれまでは文明と比較することはありませんでした。でもここは、すぐそばに人類最初の文明が誕生した地域だったので、辺境に行っているはずなのに文明について考えなきゃいけなくなる。こんなことは初めての経験でした」
かくして、謎の古代宗教マンダ教、水牛と共に生きる被差別民マアダン、イスラム文化を逸脱した自由奔放なマーシュアラブ布など、高野さんの前には次々と歴史的疑問難問が降りかかる。