瀬戸内寂聴さんと出会って以来、三十年以上、俳句を詠んでいるという俳優の奥田瑛二さん。遊里や遊女を詠った正岡子規の俳句を、「艶俳句」と呼び絶賛する奥田さんは、その句に「人間性の深みを感じた」という。夏井いつきさんとの正岡子規対談をまとめた『よもだ俳人子規の艶』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集し、紹介する。
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欲望と風俗
奥田:今回の夏井さんとの対談もそうですが、僕は「偶然」の出会いが人生を左右していくと思っていて。しかもこの偶然は、文字通りの偶然というより、心の中で思い描いてきたイマジネーションに導かれる形で、人と人は出会っているんじゃないかと思ってるんです。
夏井:なるほど、カッコええなあ。それが奥田さんを寂聴さんと出会わせ、俳句に辿り着いた。心の中で求めたものが偶然の出会いを呼んでいるんだ。
奥田:人はいつも何かを求めて生きている。それが「どんなものか」によって「偶然の出会い」が生まれ、人生そのものが変わっていく……。だから、心の中で何かを求める時は、その芯のところは清廉でなくてはならないなあと。何かを「学びたい」「教えてほしい」時も、そこに邪心があったら、良い「偶然」は訪れない。「これを学んで名声に役立てたい」なんて下心があってはダメで、清らかな心の欲求でないと、いい学びは得られない。
ただね、この世でたった一つ、清濁併せ持つ欲が存在していて。