ソフィアはとにかく町中遺跡だらけ。ここは地下鉄の駅ですが、掘ってたら遺跡にぶつかったとのこと(^_^; (撮影/谷川賢作)
<br />
ソフィアはとにかく町中遺跡だらけ。ここは地下鉄の駅ですが、掘ってたら遺跡にぶつかったとのこと(^_^; (撮影/谷川賢作)
この記事の写真をすべて見る
ここが「温泉水給湯場」もちろん人たくさん汲みに来ています。人のいない間にさっと撮る (撮影/谷川賢作)
<br />
ここが「温泉水給湯場」もちろん人たくさん汲みに来ています。人のいない間にさっと撮る (撮影/谷川賢作)
TV用の照明は許すのか。。。イースターのミサはTV中継もされるようです。しかし観光客と一般の市民はその信仰心の厚さから一目瞭然 (撮影/谷川賢作)
TV用の照明は許すのか。。。イースターのミサはTV中継もされるようです。しかし観光客と一般の市民はその信仰心の厚さから一目瞭然 (撮影/谷川賢作)

 旅の続きです。イスタンブールからソフィアに空路で入ったのですが、飛行機が遅れて空港到着は23時をまわっていたか。ガイドブックを読むのが好きなかみさんが「必ず『OKタクシー』という会社のに乗ること。白タクだめって書いてある」とのたまうが、夜遅くてOKタクシーがいません。そこへすかさず「あんたたちどこ行くのん? 市内40ユーロ(5400円くらい)でどう?」と声をかけてくる痩せ形の、目つきあやしいなにかギャング映画の端役のような胡乱なおっさん。「40ユーロ? なに言うてまんねん。20レバ(ブルガリアの通貨。1400円くらい)くらいが相場やん」と初めての国に降り立ちなにも知らないくせに、それに臆病なくせして金がからむと妙に強気(どっちよ!)の私。「ノーノー! じゃ40レバ」といきなりハードル下げるおっさん。「30」と私。「しょうがねえなあ。ついてきな」とおっさん。で、てくてくターミナルからしばらく歩いて案内されたのがおっさんの自家用車。「やめようよ~車体も白いし、これって正しく画に描いたような“ザ・白タク”じゃないの」と真っ青なかみさんを尻目に、「30レバで妥結、約束したんだからだいじょうぶだよきっと」と内心ビクビクだがさっさと乗り込む私。で、しぶしぶ従うかみさん。

 なにやらブルガリアの民謡をラジオでかけていて、外見に似合わず意外と陽気なおっさんはハナ唄まじりで快調に運転。そこでいきなり「ショペ ショペ~」とか合いの手をいれながらかみさん乱入。「おおっ! なんで知っとるんよ? わはは~」とゴキゲンになるおっさん。ホテルに着く頃にはすっかり打ち解け「疑って悪かったねえ」とかみさんニコニコ。

 あっ、これ自慢話ではありません。今回は結果オーライでしたが、こういう時の世の女性陣の反応は決まって「賢作さん。奥さんのお供で頼りにならないボディーガードで着いて行かさせてもらっているのに、奥さんおびえさせてダメねえ」というものでしょう。ヤレヤレ(^_^;

 しかし現在ブルガリアの音楽、文化全般にはまっているうちの相方はそれから調子づいてしまう。街中のいたるところで「ドバルデン(こんにちは)」とか「ブルゴダリャ(ありがとう)」と片言で愛想をふりまいて、それが「あら~あんたちょっとブルガリア語話せんねんな」みたいにまた笑顔で返ってくるからたまらんらしい。ですが、そこまで。買い物とかホテルでの用事とかちょっと込み入ったことは全部私の拙い英語での交渉(あちらさんの英語も相当やばしですが……)。本人もさすがにわかったらしく「こんど一人で来る時までにもうちょっと英語なんとかしないと」とのこと。そうしなさい!

 ソフィアには知り合いがいるわけではなく、出会いというほどのことはなかったのだけど、『リラの僧院』に案内してくれた(オプショナルツァーですが我々二人のみの普通の乗用車でのミニツァー)運転兼ガイドのニコライ君(21歳)とは、やはり片言の英語でなんやかや話す。仕事熱心な彼(父は大学で神学の教授とのこと)はキリスト教のモニュメントや歴史に関してはやたら饒舌になり熱く語ってくれるが、ソ連がなくなってからの社会変化とか、EU加盟のこととか、チェルノブイリやら福島のこっちでの受けとめられ方とか、私が“燃えたい話題”にはあまりのってこない。若者はどこの国もそんなもんかなあ。(って、たかをくくってはいけない。若者よしっかり!)

 でもとてもナイスガイの彼。ソフィア名物『歩道の地面の下が売り場の半地下商店』『市民が自由に汲んでいい温泉水給湯場』(ご自分で調べなはれ。おもろいよん(^^))等、こちらのリクエストに応えてサービスでどこでも連れて行ってくれました。ブルゴダリャ(^o^)

 イスタンブール編でも書いたが、風光明媚や舌鼓もいいのだけど、人がどんな風に暮らしているのかを感じに行くのが旅の醍醐味になってきたような気がする。『アレクサンドル・ネフスキー大聖堂』でイースターの大きなミサを見学したのだが、そこらへんの下町のおじちゃん、おばちゃんが普段着でトコトコとやってきて、サッと十字を切り、イエス様に口づけする。例えば街中で時計を見たり、信号で立ち止まるのとなんら変わらない、まったく自然体な一連の仕草に妙に感動を覚える。それにくらべて我々が焼香する時のぎこちなさよ。誰もがなんとなく前の人のマネを形どおりにしているだけのような気がしますが(^_^; 信仰ってなんなんだろう?

 世界は広い。長時間飛行はどんどんきつくなってくるのだけど、息子や娘に「これからは世界を見て知れ」などとエラそうに言うのであれば、まだまだ自分から先に積極的に知らねば。[次回5/25(月)更新予定]