無謀を希望へと変えた
この挑戦を無謀だと感じる人もいたかもしれない。しかし、渡辺はこれまでも無謀を希望へと変えてきた。高校3年生になったばかりの12年春、NBA入りを目指してアメリカ留学を決意。それを聞いたバスケット関係者が地元である香川県までやってきて、海外挑戦を断念するよう説得しようとした。日本の至宝と考えるならば挑ませるべきだが、十数年前はそのような発想はなかった。
それでも色摩監督は「自分の好きな道を行けばいい」と話した。以来、「彼が出した答えを100%支持するよというスタンスでいる。僕が信じてあげなければ誰が信じるんやと、ずっと思っていました」。18年に田臥勇太以来14年ぶり2人目となる日本人NBA選手となり初得点したとき、「いつか、得点とリバウンドで二桁をマークするダブル・ダブルを獲ろう」と励ました。渡辺は笑ったが、色摩は本気だった。3年後にマークしてくれた。
「高校時代、体育館に最初にやってきて、最後に帰るのも渡辺だった。地道に努力できることが彼の最大の武器。絶対に伸びると信じていました。だから、今回もやってくれると思っています」(ジャーナリスト・島沢優子)
※AERA 2023年9月11日号より抜粋