デビュー作『ハンサラン』で脚光を浴びた新鋭・深沢潮が、ふたたび在日コリアンをテーマに、新作『ひとかどの父へ』を刊行する。

 プロローグは2014年。主人公の朋美は、母の清子、娘の夢菜(中学3年生)とともにソウルを訪れる。ライター業の朋美は仕事で何度も来ているが、母と娘は、今回が初の韓国。K-POPに夢中の娘は、「韓国人の彼氏が欲しいかも。EXOのチャニョルみたいな」と無邪気に言い、それを聞いた母は、「夢菜と一緒で、ばーばもね(中略)若い頃、ものすごく好きだった人が、韓国の人だったの」と打ち明け、朋美を驚かせる。

 続く第1章で、時代は1990年へと遡る。朋美は大学を卒業後、就職もせず、男性ファッション誌の編集部でアルバイト中。朋美の母、浜田清子は、エステ事業を核とする年商100億の有名企業を一代で築いたやり手実業家。いつも忙しく、母娘の関係はぎくしゃくして、ろくに会話もない。朋美が8歳のとき行方不明になった父は、もともと留守がちで、記憶にあるのは煙草のにおいと顎のほくろ、あとは、たまの帰宅時に買ってきてくれる風月堂のゴーフルのことくらい。

 しかし、衆院選に立候補することになった母に関するスキャンダル報道で、朋美は衝撃の事実を知らされる。父は在日朝鮮人で、北朝鮮の工作員だった疑いもあるという……。

 不安、拒絶、落胆、嫌悪。さまざまな感情が朋美の中で渦を巻く。みずから会社の広告塔になるほどの美貌を誇る母とは対照的に、朋美の外見は冴えず、父親譲りだという腫れぼったい一重瞼の目と分厚い唇がコンプレックスだった。暴露記事を読んだ朋美は、アイプチをつけて不自然な二重瞼をつくり、いつか父と再会したら見せたいと思う宝物をだいじにしまっていたゴーフルの空き缶の中身をゴミ箱にぶちまける……。

 小説は、この朋美の物語を中心に、さらに時代を遡る。第2章(1977年)では小学5年生の朋美の姿が、第4章(1964年)では、母・清子の若き日々と、在日朝鮮人だった運命の人との出会いが描かれる。

 そして第5章(1992年)に入ると、朋美は、かつて父親と一緒に活動していたというジャーナリスト・黒沢に導かれ、父親の消息を追って大阪・鶴橋へと向かう。

 風月堂のゴーフルを扇の要にして、さまざまな時代がひとつにつながれ、やがて朋美という名前に込められた意味が明かされるとき、静かな感動があたたかく胸に広がる。

 小説の中心は、父親が朝鮮人だと突然知らされた朋美の複雑な心情。朋美には在日韓国人の親友ソン・ユリがいるが、家庭にも容姿にも恵まれた彼女に嫉妬しながら、「でもあの子は日本人じゃないし」とひそかに見下すことでバランスをとっていた。なのに自分の父親が朝鮮人だったなんて……。

 朋美のリアルな心の動きには、著者自身の体験も反映しているようだ。あらためて略歴を紹介すると、深沢潮は、1966年、東京都生まれ。2012年、「金江のおばさん」で、第10回「女による女のためのR-18文学賞」を受賞した。タイトルロールの金江福は、日本一の“お見合いおばさん”として在日コリアン社会に名を馳せるタフな女性。縁談の紹介料や成功報酬で生計を立てる彼女を軸に、書き下ろしの連作短編5編を加えた『ハンサラン』で2013年に単行本デビュー。在日コリアンの日常と人間ドラマを細やかに描く新しい作風で注目され、“金城一紀以来の在日文学の新鋭登場”と評された。昨年は、30代女性の恋愛事情を描く『伴侶の偏差値』と、ママ友同士の複雑な関係を描く『ランチに行きましょう』を刊行している。

 著者の両親はともに在日コリアンだが、“韓国のアイデンティティーにこだわる父と、在日社会に距離を置く母がよくけんかした”という。“学生時代「日本の男とつきあうな」と父に叱責され、「そんなに韓国が好きなら、韓国に帰れ!」と言い放ったこともある”とか(2014年12月12日付毎日新聞朝刊の取材記事より)。

 同記事によれば、その後、在日韓国人の男性と結婚し、妊娠を機に夫婦で日本国籍を取得するも、8年で離婚。以来、子供2人を日本人として育ててきたが、小説発表を機に在日韓国人だったことを打ち明けた。その時中学生だった長男は、ずいぶんショックを受けたらしい。

 実際、いま中学1年生のうちの息子も、ふと気がつくとネトウヨ的な言説に染まり、平気で嫌韓っぽいことを口にするようになっていて愕然とするのだが、ヘイトスピーチにまみれたこの現状を変える力を持つのは、本書のような、静かでさりげない小説かもしれない。