2005年のアメリカ。ゲイであることで母に捨てられ16歳からホームレス生活を送ってきたフレンチ(ジェレミー・ポープ)は海兵隊に志願する。だが訓練中にゲイであることが周囲に知られ、仲間からの嫌がらせと教官からのしごきが苛烈になっていく──。「インスペクション ここで生きる」はエレガンス・ブラットン監督の実体験をもとにした物語。脚本も務めたブラットン監督に見どころを聞いた。
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この映画はほぼ100%自伝です。私は10年間ホームレスとして暮らし、どん底を味わいました。クィアであり黒人であることで、社会ののけ者にされていると思ってきました。しかし海兵隊に入り、教官から言われたのです。「自分の命は自分の右にいる人、左にいる人を守るためにある。だからこそ生きる意義があるのだ」と。そのとき私は「こんな僕の命にも価値があるのだ」と初めて自分をリスペクトできるようになった。その大切なメッセージを人々に伝えたくて、この物語を描きました。
主人公のフレンチは当初、男らしくない自分の弱点を海兵隊が変えてくれることを期待します。しかしそのうちに自分だけでなく、仲間の誰もがさまざまな問題や不安を抱えていることに気づきます。軍隊に入る人々とは、アメリカの社会の隙間から落ちてしまった人たちです。アメリカはすべての人にアメリカンドリームを期待させますが、しかし社会の下層にいる人々にとっては乗り越えられない巨大な山です。軍はそんな人々の受け皿になっているのです。やがてフレンチはそうした兵士たちに対し自分の繊細な特性を生かすことができると気づいていくのです。
2023年のいま、当時よりもLGBTQや黒人の置かれる状況がハッピーになった……とは残念ながら言えません。最近のアメリカは後退していると多くの人が感じています。保守的思想に偏った連邦最高裁の判決を受けて中絶を禁じた州があります。いずれ黒人女性の選挙権がはく奪されるかもしれない。私たちは闘い続けなければなりません。私が夫と運営している制作会社のひとつのゴールは、異なる人々が話し合うきっかけになる作品を作ることです。誰もに社会を変える力があることを認識してほしいと願っています。
(取材/文・中村千晶)
※AERA 2023年8月7日号