宮藤:今回、音楽が流れていることで流れていないシーンの意味を、音楽が流れていないことで、流れているシーンの意味を考えることがすごく多かったです。それは恐らく、最初にあの曲をつくってもらい、その後メインテーマなどを作っていただいて、少しずつイメージが広がっていったからだと思います。そのシーンに合うと思う曲を一通りつけた後に、全体的に一度減らしてみると、すごくいいんですよね。「減らす作業」を加えることでそのシーンで流したい曲がよく聴こえるというか。
大友:今回に限らず、僕はだいたい多めにつくるようにしています。それは「全部使ってくれ」という意味ではなく、選択肢を増やしたい、ということなんです。映像につけて初めてわかることがあって、もちろんつけない方がいい、となることもある。カットされることは問題ではなく、試してみるために、たくさんつくるのが癖になっている。
宮藤:「この曲は絶対に使うぞ」と気に入っていた曲が、どのシーンにも当てられないということもありました。物語全体を表している曲だと感じたから、どのシーンにもはまらなかったのかもしれないですね。結局、予告編で使っています。
大友:本当に、当ててみないとわからないんですよ。完成した作品を観て、予定とは違うシーンで使われていると「あ、いきている」って思うし、音楽との関係って本当に不思議です。
―映画「どですかでん」は、それぞれが20歳の頃に出合った。
宮藤:なんとなく「黒澤明の映画を観なきゃ」と思っていた時期で、一連の作品をビデオで観るなかで「どですかでん」に出合い、「なんだこれ!」と思って。ほかの代表作と比べても、明らかに浮いているんですね。
大友:確かに、違うよね。
宮藤:自分も何かやらなければ、と思いながらも、下北沢で芝居ばかりを観ていた時期で、先輩の家に行っては観た芝居の悪口を言っていたら、「お前は他人がつくったものの悪口ばかり言っているけど、やりたいことないのかよ」と言われて、そのときに、「どですかでん」の原作である『季節のない街』を読んでいたんです。1990年に入り大阪・西成区で何度目かの暴動があり、実際に見に行って。
大友:え、行かれたんですか。
宮藤:1泊2千円の安宿に泊まり『季節のない街』を読んでいたら、「何かやらなきゃ」と思い、それで東京に戻ってから「大人計画」に入ったんです。