法政大学教授水野和夫氏は経済学者ケインズの言葉を借り「豊かにすること」はあくまで中間目標でその先に「明日のことを心配しなくていい社会」を目指さなくてはならないと主張する。水野氏を取材した朝日新聞社編集委員の原真人氏の新著『アベノミクスは何を殺したか 日本の知性13人との闘論』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集し、いま必要な「新しい資本主義」について紹介する。
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どんな資本主義が望ましいのか。そもそも資本主義や経済成長は私たちにとって必要不可欠なものか。この章では、そういう大きな問題意識をもって賢人たちの意見を聞いてみたい。まずは「資本主義は終焉した」と喝破する経済学者、水野和夫の話を聞く。
数百年レベルの歴史軸のなかでアベノミクスはどう位置づけられる政策なのか。いま起きている経済現象はどんな歴史的意味をもつのか、巨視的な歴史観で存分に読み解いてもらおう。
――「アベノミクス」とは歴史的な視点からはどう位置づけられる試みだったのですか。
水野:すでに終わってしまった近代を「終わっていない」と勘違いしている人たちが作った支離滅裂のフィクション(幻影)と言えましょうか。いわば16世紀の宗教改革の時代に反宗教改革をリードしたイエズス会のようなもので、騎士の時代が終わっているのに騎士道を説くドン・キホーテのような存在でした。
――ずいぶん時代はずれの試みだったことはわかります。具体的にはどういうことですか。
水野:アベノミクスの「3本の矢」のうち、第1の矢は大胆な金融緩和です。物価を上げ、成長率を上げることをめざす政策でした。実質GDP(国内総生産)が成長すれば、あらゆる問題が解決できるようになります。フランスの歴史家フェルナン・ブローデル(1902〜85)は「成長はあらゆるケガを治す」と言いました。まさに彼の時代はそういう時代でした。成長すれば税収や保険料収入も増えるから、社会保障政策もうまくいく。人手不足になれば賃上げがおこり、生活水準が上がって、中産階級ができる。そうすると政治も安定して不都合なことは何もない。成長さえしていれば、すべてうまくいくと考えられてきました。しかし、そういう時代はおそらく1970年代、80年代で終わったのだと思います。