長年の現場の経験からIT化やAIの利用がいくら進んでも、最後は人間力の戦い。物事の判断やものづくりへの情熱はやっぱり人になる(撮影/狩野喜彦)
長年の現場の経験からIT化やAIの利用がいくら進んでも、最後は人間力の戦い。物事の判断やものづくりへの情熱はやっぱり人になる(撮影/狩野喜彦)
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 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA 2023年7月31日号の記事を紹介する。

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 1996年9月から務めた、近鉄奈良線・学園前駅舎の建て替えと新しい商業施設をつくる工事事務所の所長のときだ。事務所は、南口の広めの土地を借りて、プレハブ2階建てをつくった。2階は近鉄関係者と自分たち共同企業体(JV)の約20人が使い、1階は工事を担う協力会社の職人が出入りした。職人の数は、100人を超す。

 毎朝、事務所で100人を集めて朝礼をやり、その日の工事の内容や注意事項を確認する。ときに、自分も話をした。それだけではない。99年9月に竣工するまでの3年間、朝礼の前後に入り口に立ち、1人ずつに「おはよう」と声をかけた。

 全員に言い続けたのが、蓮輪流だ。そうしておくと、仮に現場で安全に反する行動をみかけたとき、同じ目線で言葉をかけやすい。目と目が合えば、安全に反した行動をしていたら「しまった」と思うだろう。

 事務所に籠もっている人間に言われるのでなく、毎朝会っている相手なら、注意も聞きやすいはずだ。

 毎朝100人として、「おはよう」は3年間で約10万回になる。間違いなく、家族に言った数より多い。「おはよう」には「ご苦労さん」の意味は当然として、目が合ったときに「頼むぞ、無事故・無災害で仕上げてくれよ」との思いも込めた。

■アイコンタクト身についた部活のサッカー

 キーワードは「アイコンタクト」だ。互いに何を考えているのか、何を伝えたいのか、「言葉にしない思い」を通わせる。中学校と高校の部活で続けたサッカーで、身についた。広いグラウンドで離れたところにいる選手同士が、次のプレーへの意図を伝えるのに、欠かせない。

 母も、眼で気持ちを伝えてきた。1964年2月27日、小学校4年生のときに、旅行代理店に勤めていた父が、出張先の大分市で起きた飛行機事故で急死した。母に連れられ、その夜の飛行機で福岡へ飛び、車で大分へ向かったことは忘れない。

 衝撃だった。弟は7歳下で、まだ幼児。母は自宅近くに日中の仕事をみつけ、働いて2人を育ててくれた。自然、弟の父親代わり役が増えていく。母は何も口にしないが、目が合えば思いは分かる。ここでも「言葉にしない思い」を伝える過ごし方が、身に染み込んでいく。

 蓮輪賢治さんのビジネスパーソンとしての『源流』は、このサッカーと母との日々だ。

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