昨年は、天皇家の長女・愛子さまの成人の記者会見が、秋篠宮家の長男・悠仁さまの中学校卒業式と同じ日に行われた際も、
「私のミス」
と、頭を下げた。
佳子さまの「ひとり暮らし」問題について、冒頭の人物はこう話す。
「長官がまったく把握していなかったはずはない。にもかかわらず、皇嗣職大夫の説明について『承知していない』『結果的に違ったということは反省すべきだ』など、まるで人ごとのような印象を受けます」
そもそも長官といえども、皇太子と同等の立場である皇嗣・秋篠宮家の問題に、軽々しく口を出せるものではない。皇太子を支えるのが東宮職だが、同じように皇嗣家を支えるのが皇嗣職なのだ。
元宮内庁職員で皇室解説者の山下晋司氏は、
「かつての東宮職は、ミニ宮内庁といわれるほど、独立性が保たれた組織でした」
と解説する。
平成の時代、当時の皇太子ご一家周辺は「赤坂」、天皇ご夫妻周辺は「千代田」と呼ばれていた。「千代田」が「赤坂」に口出しをすることは基本的にできず、情報の出入りもスムーズとは言えず、両者の溝が深まった時期もあったという。
「西村長官も皇嗣家である秋篠宮家については、一線を引いて静観してきたと思います。しかし、長官が皇嗣職大夫に対して苦言を呈したような発言をした以上、皇嗣職も沈黙してやり過ごすことは難しくなりました。秋篠宮家の問題が、宮内庁全体の問題に発展したと言っていいと思います。記者や国民がある程度納得できる追加の説明が必要でしょう」(山下さん)
■問われる秋篠宮家の「力量」
皇室制度にも詳しい八幡和郎・徳島文理大教授は「できる限り説明しようとした秋篠宮家側は誠実であったと思います」と、説明にあたった加地大夫を評価する。
しかし、「もともと説明が困難であった部分」について記者団の質問に答えようとしたために、世間で歪曲されて受け取られ、混乱の原因になったのでは、と分析する。