現場のマンション前に自然とできた献花スペース。花やぬいぐるみ、手紙などさまざまな品が置かれていた(撮影/上田耕司)
現場のマンション前に自然とできた献花スペース。花やぬいぐるみ、手紙などさまざまな品が置かれていた(撮影/上田耕司)

 タレントのryuchellさん(享年27)が亡くなってから19日で1週間がたった。現場となった事務所が入る東京・渋谷区のマンションの玄関付近には、自然と献花スペースができ、多く人がお供え物やメッセージを携えて訪れた。現場に来て手を合わせ、ryuchellさんの死を惜しむ人たちの声を聞いた。

【現場に手向けられた手紙のメッセージはこちら】

*  *  *

「ryuchellさんが亡くなった翌日、ここ(マンションの玄関付近)に花が置かれました。『勇気を沢山与えて下さりありがとう』というメッセージを添えた花束でした。その上に別の花束が2つくらい置かれると、訪れた人たちが次々にいろいろなものを置いていき、この玄関の片隅が献花スペースのようになりました」(マンションの女性住民)

 18日に記者が現場を訪れると、花束とともに、ryuchellさんの地元・沖縄のオリオンビールやぬいぐるみ、ゼリーやお菓子など、さまざまなものが供えられていた。ryuchellさんが飲みやすいようにという配慮だろう、フタの開いた缶ビールも置いてあったという。

 この献花スペースについて、マンションの管理会社の担当者はこう話す。

「もしかしたら、住民の中には迷惑に思う方がいるかもしれません。ただ、勝手に処分することもできないので、そのまま置いています。事務所とは今後の契約をどうするか話さなければいけないのですが、まだ連絡が取れない状態です」

 記者はryuchellさんが亡くなった翌日、先の住民が「最初に置かれた」と言った花束を持って来た2人組を取材していた。そのころは献花スペースもなかったので、どこに花を置いたらいいか迷っている様子だった。声をかけると、2人は21歳と22歳の大学生とのことだった。

「僕自身はゲイなんですが、ryuchellさんを尊敬していました。毎年ゴールデンウイークごろ、代々木公園で、東京レインボープライド(LGBTQが前向きに生活できる社会の実現を目指す団体)のパレードが開催されているんです。僕がまだ(性自認を)オープンにしていなかったときにパレードへ行ったら、ryuchellさんがスピーチをしていたんです。その時、こんなに自由に生きている人ってすごいなと感じ、ryuchellさんみたいになりたいと思いました。それこそ、自分が好きなように自分を表現して生きたいと思ったんです。だから自分の中では、ryuchellさんはロールモデルでした」

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上田耕司

上田耕司

福井県出身。大学を卒業後、ファッション業界で記者デビュー。20代後半から大手出版社の雑誌に転身。学年誌から週刊誌、飲食・旅行に至るまで幅広い分野の編集部を経験。その後、いくつかの出版社勤務を経て、現職。

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自分たちの「代表」が消えてしまった