夢物語が現実になるとき、浮き彫りになる課題


瀬名 再生医療やゲノム編集しかり、そうしたことができるようになってくると、湧き上がってくるのが生命の本質への問いですよね。なぜ人は生まれ、死ぬのか。なぜ老いたり、病気になったりするのか。不老不死は可能なのか。人間が遥か昔から追い求めていた永遠のテーマです。荒唐無稽な夢物語だと思っていたことに、なんとなく近づきつつある感触がある。今の時代の生命科学には、そんなおもしろさがあります。

大隅 テクノロジーの発達によって、その哲学的な問いに、生命科学、あるいは一部の脳科学がアプローチすることが可能となってきている実感がありますね。だからこそ、科学者が倫理観を持って研究に取り組むことの重要性が増していると思います。一般の方に向けての伝え方も配慮が必要ですよね。

瀬名 僕は科学を題材にしたSFやホラー小説を書いているわけだけど、めざしているのは、何年経ってもテーマがおもしろいと思われるまま残る小説なんです。例えばiPS細胞で臓器を作ることができなかった時代に、「作れた!」という話を書いたら、そのときは「へえ~」と思うかもしれないけれど、10年後にはおもしろくもなんともないでしょう。科学ってそういう表面的なものではないですよね。謎はもっと深いところにあって。例えば再生医療が普及したとき、身体を治すだけではなく、エンハンスメント(身体などの機能を向上させること)の領域に飛び込むか否かとか、難病が当たり前に治せる時代が来たら、今を知らない子どもたちとどんなギャップが起こるかとか。そういうことまで考えていくと問題はすごく大きくて深いわけです。

大隅 カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』や『クララとお日さま』の世界ですよね。病気の人に臓器を提供するために人工的に作られたクローン人間の話や、遺伝子操作によって知性の「向上処置」を行う社会で、人間そっくりのAIロボットを通して生きる意味を問う話。その社会では当たり前となっていることだけれど、その裏にはさまざまな問題や闇がある。科学者が研究を行う際には、ELSI(エルシー、Ethical,Legal and Social Issuesの略)、つまり、倫理的、法的、社会的課題についても、より慎重に考えていかなければいけない時代になってきていると思います。

【プロフィール】

東北大学副学長(広報・ダイバーシティ担当)および附属図書館長

東北大学大学院・医学系研究科・ニューログローバルコアセンター長

発生発達神経科学分野 教授

大隅 典子 さん

1960 年、神奈川県生まれ。東京医科歯科大学大学院・歯学研究科・博士課程修了。歯学博士。歯科医師免許取得。国立精神・神経センター・神経研究所室長を経て、1998 年から東北大学大学院医学系研究科・教授に就任。専門は発生生物学、分子神経科学。著書に『脳からみた自閉症 「障害」と「個性」のあいだ』(講談社ブルーバックス)、『脳の誕生 発生・発達・進化の謎を解く』(ちくま新書)など。

作家

瀬名 秀明 さん

1968 年、静岡県生まれ。東北大学大学院薬学研究科博士課程修了。薬学博士。1995 年、大学院在学中に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞を受賞しデビュー。SF 小説をはじめ、ロボット学や生命科学など科学をテーマにした著作を多数執筆。1998年、『BRAIN VALLEY』で日本SF 大賞を受賞。2006 年より3 年間、東北大学工学部機械系特任教授を務めた。