竈門兄妹をめぐる会議では、柱である義勇が「鬼をかばった」ことで、蛇柱の伊黒小芭内が責めの口火を切ったが、しのぶが「処罰は後で考えましょう」とその場を流してくれている。怒り心頭なのは、風柱・不死川実弥だった。「鬼を滅殺してこその鬼殺隊 竈門・冨岡両名の処罰を願います」という言葉はかなり重い。
「もしも禰豆子が人に襲いかかった場合は 竈門炭治郎及び―――…鱗滝左近次 冨岡義勇が 腹を切ってお詫び致します」(鱗滝左近次/6巻・第46話「お館様」)
実弥は「死にたいなら勝手に死に腐れよ」と反論するものの、それでも処罰をいったん思いとどまっている。この時の実弥のあの形相は、信頼している柱の1人である義勇が、これほどまでに重大なことを他の柱に対して「相談もなしに」決めていることも原因である。「柱の命」を出会ってすぐの少年に、それも鬼を連れた少年に賭けてしまったことへの憤りだ。それでも自分の主張を抑えたところに、実弥なりの義勇への尊重が隠されている。
■ほとんど「笑わない」義勇
しかし、他の柱たちからの尊重を無視して、義勇は一歩引いた態度を取り続ける。アニメ新シリーズ「柱稽古編」では、この義勇の言動の秘密が明らかになる。これは見どころの1つだ。そして、もう1つ、大きな見どころがある。「柱稽古編」では、貴重な義勇の「微笑シーン」が見られる予定なのだ。義勇ファン待望の場面になるだろう。
そもそも作中で、義勇はほとんど“笑わない”。コミックス5巻の「大正コソコソ噂話」に、義勇が好物の鮭大根を「食べる時 微笑んだという噂があるらしいよ」という説明書きがある。笑う、ということではなく、せいぜい「微笑む」、それも「噂」、さらに「らしい」と伝聞調なのだ。いかに義勇がふだん笑わないのかが分かる。
実は『鬼滅の刃』は登場人物たちの「笑顔」が重要なキーワードとなって物語が進行する。彼らが心の底から「笑う」のは、戦いが終わったその時だ。古今東西の昔話では「笑わない人物が笑う」ことには重要な意味が含まれていて、「笑い」=「夜の終わり」と「冬の終わり」と同義として扱われる。それはすなわち、朝日が「夜=魔物たちの時間」の終わりを告げ、陽光に満ちた春のおとずれが「冬=死と眠りの時間」の終焉の象徴だからだ。「冬」にはじまり、「夜」に戦う、鬼滅の物語は、「春」そして「夜明け」を迎えなくてはならないのだ。太陽のもと、彼らは笑顔を取り戻さねばならない。「刀鍛冶の里編」の禰豆子の「おはよう」というあのセリフは、「鬼が蠢く夜」の一角が崩されたことを示していた。
冬の雪山で、竈門兄妹の救世主として登場した、笑わない男・冨岡義勇が「笑う」ことには重大な意味がある。彼には、いつ本当の笑顔が戻るのだろうか。まずは、「柱稽古編」での義勇のかすかな「ほほ笑み」の場面を心待ちにしたい。
◎植朗子(うえ・あきこ)
1977年生まれ。現在、神戸大学国際文化学研究推進センター研究員。専門は伝承文学、神話学、比較民俗学。著書に『「ドイツ伝説集」のコスモロジー ―配列・エレメント・モティーフ―』、共著に『「神話」を近現代に問う』、『はじまりが見える世界の神話』がある。AERAdot.の連載をまとめた「鬼滅夜話」(扶桑社)が好評発売中。